第15話 夜をこえて①

「……」


 ひとまずの緊張が去り、ミモルが息を吐きます。その頃にはフェロルの治療で出血も止まり、怪我も目立たない程度にまで回復していました。


 もう寝ようとしていた時間です。

 月明かりの下、宿の主人がようやく連れてきてくれた軽装備の兵士二人も、惨状さんじょうの当たりにして眠気が一気に吹き飛んだようでした。


「何人かは逃げました。残った人達に事情を聞こうとしたら、こんなことに……」


 エルネアは言葉短く説明し、あとをにごして口元を手でおおいます。室内には窓を開けてもなお、呼吸を止めたくなる匂いが充満していました。

 事実をありのままに話すわけにはいきませんし、美女が苦しげな表情でそう言えば、大抵の人は「かなりのショックを受けたのだろう」と気を利かせてくれるはずです。


「大変でしたね。後はこちらで調べます」


 予想通り、憲兵達は気の毒そうに声をかけてくれ、ひとまずはそれ以上を聞こうとはしませんでした。


 夜は濃さを増し、月と星だけが存在を誇示こじするかのようにきやめいています。たった二人では無理だと、兵士は応援を呼び、宿は夜中にもかかわらず物々しい人間でいっぱいになりました。


 ミモル達も、物音に気付いて起きてきた他の客も、多少話を聞かれただけで解放され、自宅へ帰る予定だったオーブとカナンも、宿の主人の好意で泊めて貰うことになりました。


 幸い、二階から上にまでは匂いは上がってきませんでしたし、今から他の宿を探して動き回る方が危ないと判断したためです。


「こんなことになるなんて……」


 まだ床下ではがたがたと慌ただしい物音がしていて、まるで終わらない悪夢でも見ている気分でした。リーセンが皮肉っぽく言い放ちます。


『夢だった方がマシだったんじゃないの?』


 眠れるはずがないと思っていましたが、体は休息を欲していたようです。ベッドに横になると、途端とたん睡魔すいまおそってきました。


 ◇◇◇


『こんな仕組み、間違ってる!』


 男の子が誰かに向かって叫んでいました。勝気かちきな瞳をした、ミモルと同い年くらいの少年です。


 あの子、どこかで……。


『仕方がないのです』


 あれはヴィーラ?


 どうか怒りをおさめてと悲しげな声で話すのは、まさに探している女性でした。何か心を痛める出来事でもあったのでしょうか。項垂うなだれて、随分と疲れている様子です。


『そういう決まりだからか? そんなもの……!』


 少年は幼い子どものように地団太じだんだを踏み、その勢いは目の前の障害全てを壊さんばかりです。この世界の全てを憎んででもいるような口調でした。


『あの二人はただ一緒にいたかっただけだろ? 何がいけないんだよ!』

『マスター……』


 ああ、また夢を見ているんだな。


 半ばまどろみの中にいたミモルは、このセリフにはっとしました。

 マスター。それは主人への――ネディエへの呼びかけのはずです。それなのに、今ヴィーラが呼んだのは間違いなくこの少年でした。


 どういうこと? それにあの子は……。


『俺は認めない。絶対認めないからなっ!』


 空に向ってえる姿には、並々ならぬ決意がにじんでいました。

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