第14話 おそいくる影達②

 恐る恐る触れてみると、そこに想像していた固い感触はなく、ただぬるぬると生暖かいものが広がっていく気持ち悪さがあるだけです。

 だいじょうぶ。少し切れただけ……。そう自分に言い聞かせ、心を落ち着けていきます。


『ジェイレイのおかげね。あの子が突き飛ばしてくれなかったら、胸に刺さって命はなかったわよ』

「えっ」


 驚くべき事実に目を見開くと、頬を赤く染め上げ、涙を浮かべて見上げてくる大きな瞳とぶつかりました。


「ママ、だいじょうぶ? いたい?」


 赤い宝石をはめ込んだようなんだ目です。ああ、殺意に駆られた獣はもういないのだとミモルは思いました。

 目の前にいるのは、自分を助け、ただひたすら心配する幼い子どもです。そっと小さな体を抱き締めると、高い体温が自分まで温めてくれるようでした。



 カウンターの影に身を潜めていた宿の主人に、見回りの兵士を呼んでくるよう頼むと、エルネアはその背を見送ってから敵の中でも意識がある一人に近付きました。


「目的は何? 誰にやとわれたの」


 黒服の男はまだ若かったものの、引き締まった体つきと暗い眼光は町の人間と明らかに違っています。おそってきたタイミングからしても、ただの強盗だとは思えません。


「隠しても無駄むだよ。あなた達からは血の匂いがするもの」

「もう探すのはやめろ」


 低いしわがれた声には、逃げる気がないのか、あきらめがにじんでいました。


「あのお方は目的のものを手に入れて満足しておられる。そちらが手を出さなければ、被害が広がらずに済む」

「ふざけるなっ!」


 叫んだのはネディエでした。男に走り寄り、その襟首えりくびを掴んでみつかんばかりに怒鳴ります。


うばっておいて『手を出すな』だと? ヴィーラは物じゃない!」

「他のものまで失うぞ」


 それは何も知らない少女への警告けいこくでした。


「俺達はただの先発だが、あのお方の恐ろしさは身に染みて知っている。これ以上踏み込めば、たった一人の連れのために仲間も家族も消されるだろうよ」


 彼の後ろに控える者の存在を感じて、ミモル達は息を呑みました。その瞬間に、男は最後の力を振り絞ります。


「待って!」


 鋭い静止は、しかし間に合いません。彼はふところに忍ばせていたもう一本の短刀で、一息に自らの首を――!


 フェロルが咄嗟にかばい、ミモルはその場面を目に焼き付けずに済みましたが、りつぶされた暗闇の中で想像せずにはいられませんでした。

 何もかもを埋め尽くすかのごとき勢いで飛び散る、赤を。


「どうして。どうして、こんな」


 捕まるのが嫌だったから? 逃げても口を封じられると分かっていたから?

 答えの出ない問いが、頭のなかで堂々巡りします。体ががたがたと震え、おさまるまでしばらくの時間がかかりました。


 腕の中から解放された時には諸々もろもろが終わっていて、辺りには凄惨せいさんな光景の残骸ざんがいが広がっていました。


「あれはおとりだったってわけか。『先発』ってのが本当なら、随分と人材豊富な集団だな」


 スフレイが言おうとしていることも同時に理解します。他にも生きている者が確かにいたはずなのに、全てが手遅れと化していたのです。

 おそらくは任務に失敗した場合、誰かが派手に死を演じることでこちらの目を奪い、その隙に他の者も命を絶つよう指示されていたのでしょう。


 エルネア達はあっさりと撃退してしまったけれど、決して「大したことのない敵」ではなかったとミモルも解っています。凶器の扱いも身のこなしも、訓練されているようでした。


 守護者がいなければ、今頃横たわっていたのは少女達の方です。自分達が相手にしようとしているのは、そんな手練れを使い捨てに出来る者なのです。

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