第8話 つよい決意①

「ネディエ、やめて!」


 青年の服の襟首えりくびを掴み、殺気立った瞳で睨み付ける友人にミモルが叫びました。


 たとえネディエが立ち上がっても、多少見下ろす程度にしか目線が変わらないせいもあってか、スフレイはむしろ興味深げに受け止めています。

 握りしめる拳がぎりぎりと震え、怒気を含んだ声もどこか揺れていました。


「失う物のないお前に、何がわかる」

「じゃあお前は、俺がなんで何も持たないのか分かるか? ――お前みたいな偉そうな顔した奴らが、全部奪ったからだぜ」


 何の感情も読み取れない無機質なセリフに、ネディエの「え」という驚きがやけに大きく返ります。


「人間が一人きりで生まれるわけがねぇってことくらい、コドモじゃないなら解るだろ」


 一人で生きてきた彼には、確かな記憶なんてものはありません。

 いつの間にか、廃屋はいおく軒下のきしたで雨をやり過ごし、誰にも気付かれずに食べ物を盗む方法を身に付けていました。


 けれどこの塔で雇われて、生まれて初めて衣食住に困らない生活を手に入れ、自然と考える時間が増えると、今まで直視する間もなかったあれこれが意識の向こう側から顔を出し始めたのです。


「親がいて家があったはずだとか、だったら周りの奴らとのしがらみもあったんじゃねぇかとか。俺にも……『居場所』があったはずだとな」


 今更出生について調べる気は毛頭無いと彼は言い、硬直して言葉もないネディエに、面倒臭そうに続けます。


「そりゃ、他人より大事だろうよ。俺みたいな人間から奪って得た『居場所』だもんな」

「私は」


 するりと手が布の上をすべり、力なく垂れ下がりました。悔しげに歪めた顔からは迷いが痛烈に伝わってきます。


 それきり二人とも黙ってしまい、沈んだ空気が室内に落ちました。言うべき言葉を失ってそれぞれの視線が彷徨さまよう中、重苦しい静寂を破ったのは良く通った声です。


「もう、二人とも」


 眉を寄せて困ったように言い放つミモルに、全員が吸い寄せられました。


「スフレイ。私だって本当の家族なんて知らないし、育ててくれた人も一緒に育ったダリアもいなくなって、エルがいてくれなきゃ生きていけないけど……誰かに取られたなんて思わないよ」

「へぇ?」


 語尾を軽く上げ、お手並み拝見というスタンスで耳を傾けるスフレイとは対照的に、ネディエは何を言われるのか不安に駆られた瞳で見つめてきます。


「そりゃあ、何も知らなかった頃は、うらやましく感じたこともあったよ?」


 綺麗な服を着て、ご馳走ちそうを食べられて、何も不自由のない暮らしができる……。毎日をやっとの思いで生きている人からすれば夢のような生活です。


 でも、ネディエやティスト――自分にはない「地位」という重荷を背負った友人達と出会って、ミモルは知りました。

 金や物や、多くの財産を持つ人間は、同じだけ責任を負い、自分以外の大勢の生活や命を抱え込んでいることを。


「それこそ、他人から奪って得た力だ」

「最初はそうだったとしても、最後には押し付けたんだよ」


 ネディエがはっと息をのみます。


「自分の代わりに世の中について考えてくれる誰かを求めて、安全や安心が欲しくて……『これだけあげるから、あとはよろしく』って。 スフレイはそれが欲しいの?」

るか、そんな面倒臭ェもん」


 少女は青年にくすっと笑いかけ、友人に目を移しました。


「ネディエ。スフレイが最初に何て言ったのか、忘れた?」

「最初……?」


 すぐに「あ」と声が零れます。深い悩みに取りつかれて思考を停止させかけていたネディエに、スフレイはこう言ったのです。


「いっつもお前は小難しく考えすぎなんじゃねーの」


 と。カッときて掴みかかり、問い質そうとしたからいさかいに発展してしまいましたが、彼の考えは決して暴論ではありませんでした。平民なら、考えて当然の内容を口にしただけなのです。

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