第7話 恐れのしょうたい①

 薄墨が緩やかに広がって空を覆い、昼は物陰で息を潜めていた虫たちが鳴き始めます。またたく星に届きそうなほどの喧噪けんそうは酒場を残して遠くへ消え失せ、澄んだ夜風が塔を吹き抜けました。


「話を聞かせてくれる?」


 振る舞われた夕食の余韻よいんに浸りながらテラスで月を眺めていたミモルが、両隣に立つ天使に問いかけます。


 休養のためもあり、その日は塔に泊めて貰うことにしました。

 以前に世話になった時と違うのは、並んだベッドにミモルはエルネアと、フェロルはジェイレイと寝る事になった点です。


 とは言っても、ジェイレイはベッドに入るなりすぐに眠ってしまいました。その無防備さは、本能的にここが安心できる場所だと知っているかのようです。


「補佐ってどういうこと?」

「言葉の通りですよ」


 涼しげな瞳の青年は言って、微笑みました。ふわりとした笑い方がどことなくエルネアに似ていて、あぁ彼も人ではないのだと少女は思います。


「あなたがどのような境遇にあり、何を経験して来られたのか。天はそれを承知し、二人目……つまり僕が必要だと判断したのです」

「予測はしていたわ」


 エルネアが頷きます。補佐が付くこと自体は、たまに起こることのようです。ミモルが非常に速いスピードで能力を成長させていたから、いつかは、と。


「私が? 私の力が強くなったから、フェロルが現れたってこと?」

「エルネアさんの負担を軽くするためでもあります」


 負担。その言葉は少女の胸に重いものを落としました。

 エルネアが小声でフェロルをたしなめようとしましたが、ミモルはそれを押しとどめました。自分には知る義務があると思ったからです。


「主と天使の関係は天秤てんびんのようなものなのです。どちらが重くても軽くてもバランスを崩すことになります」


 今回の場合はミモルの側に天秤が傾き、支え役のエルネアの負荷が増えました。要するにフェロルはバランスの調整役というわけです。


「なら、フェロルが居てくれればエルが楽になるってことだよね。だったら、私に文句はないよ。ううん、お礼を言わなくちゃ」


 知らない間にパートナーに重荷を背負わせていたのです。

 日に日に強くなっていく力が間違った形で溢れてしまわないように、一生懸命せき止めながら、いつもと同じように笑っていてくれたのでしょう。


「ちょっと悔しいな。エルに辛い思いさせてたこともだけど、気付かなかった自分に腹が立つよ」


 月明かりや星の瞬きがあっても、視線を落とす足元は薄暗いままです。部屋の隅の洋燈ランプも寝入った幼子のために明度を落としていて、テラスまでは届きません。


 そっと、フェロルが膝を折ってミモルを見上げ、優しく手を取りました。もともと背が高いだけに、こうしても互いの顔に大した距離は開きません。


「これからは僕も傍にいます。ですから、そんな顔をなさらないで下さい」

「うん、ありがとう。よろしくね」


 大きくて厚みのある、頼りがいを感じさせる手でした。


 ◇◇◇


『待っててくれ』


「えっ、だれ?」


 ミモルが決意を滲ませる声に弾かれて振り返ると、見覚えのない背中が視界に飛び込んできました。そこには燃えるようなオレンジの髪が印象的な少年が立っています。


 少年といいながら、しかし背丈はミモルをゆうに越えていました。

 周囲はもやがかかったみたいに白っぽいのですが、どこかの丘に建つ一軒家の庭であるのは判ります。


『待つ……?』


 今度は聞き覚えのある高い声が耳に届き、そちらへ目をやると怪訝そうな表情を浮かべた女性――いなくなってしまったはずのヴィーラが立っています。


「ヴィーラ!」


 良かった、ここにいたんだ。そう言おうとした唇を、ミモルはぐっと引き絞りました。曖昧で質感を伴わない世界に、これは夢なのだと気が付いたからです。

 時々訪れる暗示のように、今回もまた大事な何かの断片を見ているのでしょう。


『何を待つというのです?』

『ヴィーラは心配しなくて良い』

『……』


 少年が全てを一人で抱え込もうとする姿勢に、ヴィーラの不安は大きくなるようです。数歩近づき、彼の腕にそっと触れて瞳を閉じます。


『お願いです。危ないことは、なさらないで下さい』

『大丈夫。うまくいくから』


 優しい響きは、安心させるよりも拒絶の色を含んだものに聞こえました。

 ミモルはふっと意識が薄れ、夢が遠ざかっていく瞬間、誰かが遠くで何かを叫んでいるような気がしました。

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