第6話 まっさらな幼子①

「純粋な悪魔じゃない?」

『あたしも本物の悪魔になるんだっ!』


 あの時は応戦するので手一杯で意味を推測する暇もありませんでしたが、悲壮感すら漂わせた叫びはまだ耳の奥に残っています。翼ある少女は何を求めていたのでしょうか。


「神々の御言葉によれば、この子は数百年前にエルネアさん達が倒した悪魔の娘のようなのです」

「そんな」


 もっともショックを受けたのはエルネアらしく、ぽつりと言ったきり続きが言葉になりません。代わりに質問したのはミモルでした。


「悪魔の子どもで、純粋じゃないってことは……。この子の親は、もしかして人間なの?」


 フェロルは「僕が教えられたことが事実なら」と前置きして、一呼吸入れるようにミモルの腕に抱かれた少女に目を落とします。


「先だっての一件と、ほぼ同じだったと聞いています」


 それはつまり、ミモルが遭遇した悪魔・マカラと同じ事件が起こったということでしょうか?


「おいおい何の話だ? 俺だけほったらかしかよ」


 過去を知らず、置いてけぼりをくっていたスフレイが三人を見ながら、位置がずれたままのソファに腰を落として頬杖をつきます。


「別に何もかも知りたいなんて面倒臭ェことは言いやしないけどよ。自分だけ蚊帳かやの外ってのもしゃくにさわるぜ」


 僕にも、と同調したのは意外にもフェロルでした。


「耳にしたのはあらましだけですから。出来れば詳細をお聞きしたいのですが」


 甲高い足音に顔を上げれば、ネディエが息を弾ませながら戻ってきたところで、ミモルは無言のまま頷きました。



「もう1年以上も前になるんだね……」


 少女を抱えたままソファに腰掛け、柔らかな寝息を立てて上下する頭を撫でます。目覚める様子のないその姿は安らかで、襲ってきた敵と同一人物とはとても思えません。


 何かあってはいけないとエルネアが引き受けようとしたのですが、ミモルは静かに首を振りました。なんだか寂しそうで、こうしてあげたい気持ちになったのです。


 長い、長い話でした。かい摘んで説明しようとしたものの、それでは二人とも要領を得ないだろうと、彼女は発端ほったんから語り始めます。


 自分を育ててくれた養母と、実の姉妹のように育ったダリアのこと。

 悪魔をこの世に呼び込んでしまったこと。

 エルネアとの出会い、旅立ち、精霊との契約。途上で知ったマカラの想い。


 ざっと話してしまうには余りに沢山で、ミモルもまるでお伽噺おとぎばなしでもしているみたいに思えました。いきさつを知るネディエにも初めて聞く内容があり、無言で耳を傾けます。


 共に駆け抜けたエルネアでさえ、あの時はそんなことを考えていたのかと目を見張る場面もありました。


「マカラは、一人ぼっちで部屋に閉じこもっていたニズムのために、色々なものや景色を見せて、大好きな本を集めてくるのが何より幸せだったの」


 でも、彼女は知っていました。ずっと一緒には居られないことを。


「時々思うんだ。たとえニズムが死んじゃっても、思い出を大切にしていけてたら、マカラは悪魔にならなかったんじゃないか、って」


 主が天寿を全うした時、天使はその魂を天へ導きます。新たな次なる命へと転生させるためです。そして魂を見届けた天使は、主に関する一切の記憶を失って、次に召喚される日まで天で待ち続けることになります。


「大好きだった人を、気持ちごと『無かったこと』にしちゃうなんて耐えられなかったんだよ」


 思い出して懐かしむことも、来世の幸せを願うことも、まして嘆く権利さえありません。まるで最初から何もなかったみたいに新しい相手に仕え、微笑みかける自分を想像した瞬間、彼女の心は真っ黒に染まってしまったのでしょう。

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