第5話 二人目のよびかけ②

 「彼」は呼んで欲しいわけじゃなく、喚んで欲しいのです。ミモルは目を閉じ、再び闇にりつぶされてしまった心の奥へと意識を沈ませていきました。

 精霊の力を制御する訓練のおかげで、今ではかなりスムーズにこの世界へと降り立つことが出来るようになっています。


「いらっしゃい」


 ふわりと地に足を付けて目を開ければ、リーセンが複雑な表情で歓迎し、扉を指し示しました。ぴったりと閉じられていたそれは、向こう側から押されて開きかかり、強い光を溢れさせていました。


「一緒に開けてくれる?」


 ティストの時は自分が手伝う側でした。それよりも前、ミモル自身の時は亡き義母ははが導いてくれました。今度は肩が触れるほど近くに彼女がいてくれます。外ではエルネアもサポートしてくれることでしょう。きっと、大丈夫です。


「物好きね。箱の中身が何だか確かめもせずに手を突っ込むなんて」

「だめ?」


 リーセンはふっと笑って手を払いました。



 光はミモルを中心として柱のように立ちのぼり、客間にいた全員を包み込んだかと思うとあっという間に収束して消えました。


「何が起きたってんだ。……あ?」


 倒れる少女のそばにいたスフレイが、ミモルから再び手元へと視線を移して間抜けな声を出します。

 そこにあったのが、倒れ伏した悪魔の背でないことに気が付いたからです。ゆっくりと立ち上がって数歩下がると、ほぼ同じ高さで目線がぶつかりました。


「誰だお前」


 切り上げるように短く、半ば敵意を含んだ口調で睨みつけるも、一方ではどこか楽しげで、新たな展開に面白みを感じてもいるようです。


「私に話しかけていたのはあなた?」


「相手」が応えるよりも前に別の質問を投げかけたのは意識を取り戻したミモルでした。


「はい」


 迷いなく返すその低い響きは、まさに夢の中と同じです。

 澄んだ瞳と長い髪は独特の青い色を放ち、涼しさを運ぶ風を連想させます。筋肉質のスフレイと並ぶと、スマートさが際立つ若い青年でした。


 何より彼の素性を明らかにしていたのは、背の真白な翼で、それをさっと畳んで消してしまうと、軽く一礼してみせました。


「フェロルと申します。ミモル様をお守りするため、エルネアさんの補佐役として遣わされました。どうぞ、よろしくお願いします」


 すらすらと言って軽く微笑めば、指通りの良さそうな腰までの髪が揺れます。

 表情によって十代後半にも二十代前半にも見えるところが、エルネアに――これまで出会った天使に良く似ていました。


「やっぱり……」


 最初に反応したのはエルネアです。すでに心当たりがありそうだった彼女は、彼を見て想像を確信へと変化させたようでした。


「エル、知ってることがあるなら教えて」

「お話のところ済みませんが、先にこちらを」


 二人の会話を遮って、フェロルは胸に抱えた小さな何かをミモルに差し出します。それは、大人の両腕にすっぽりとおさまる小さな姿で、見た全員があっけにとられるものでした。


「これって、もしかして」


 すやすやと規則正しい寝息を立てる、幼児と言って差し支えないほどの子ども。既視感を覚える面影を残した女の子でした。


「もう一度人払いをしてくる」


 ネディエが部屋を出ていくのを見送ってから、ミモルは信じられない思いでその少女の頬に触れてみます。温かくて柔らかい感触は、幼子そのもの。

 なにより目を引いたのは、つるりと垂れたポニーテールの赤です。そっと受け取ると、ずしりとした重みが伝わってきて、生きていることを実感しました。


「精霊の力を浴びた悪魔は、聖なる炎に身を焼かれる運命にありました。天との繋がりも切れてしまっているため、消え去るしかありません」

「じゃあ、どうして」


 小さく小さく、まるでかつてのエルネアに起きたことのように縮んでしまったものの、少女は確かに呼吸し、命をつないでいます。同じことが起きたのでしょうか?


「ミモル様が僕を召喚した瞬間に溢れた、天の気のおかげです」


 どんなけがれをも払い、生命に活力を与える清浄な空気。だからフェロルは急ぐように言っていたのだと今なら理解できます。あのタイミングで彼を召喚できていなければ、悪魔はそのまま命を散らしていたことでしょう。


「もう一つは、この少女が純粋な悪魔でなかったから、かもしれません」

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