第二章 おさなごと青年

第5話 二人目のよびかけ①

 ツンと焦げるような匂いが鼻をつきました。その異質さが、焼けたのが衣類だけでないことを知らせています。


「大丈夫よ。何も心配しないで」


 優しい声が頬をなでます。きっと、目を閉じて耳をふさいでいればエルネアがなんとかしてくれるでしょう。

 全部きれいに片付けて、何もなかったように振舞ってくれるかもしれません。でも、それではいけないことも一方で理解していました。


 思った途端、涙がにじみます。してしまったことにフタをして忘れたふりをするのが、どんなに自分や周りを苦しめるか、今のミモルは知っていました。

 ゆらりと立ち上がります。触発されたように全員がミモルを見、目の前の惨劇さんげきを直視しました。


「……」


 先ほどまで俊敏に動き、自分をおびやかそうとしていた人影は、まるで意思のない物体のように仰向けで床に横たわっています。


 騒ぎの間、かなりの音が鳴っていましたから、ネディエがいくら人払いをしていてもいずれ警備の兵が来るでしょう。猶予ゆうよというほどの時間もありません。ミモルは決して口にできない言葉がわき上ってくるのを必死で押さえ込みました。


 ――誰か助けて。


『あなたの望むままに』

「えっ」


 聞き覚えのない声に驚くのと、目の前に転がる「物体に等しいもの」が身じろぐのとは同時でした。


「お、生きてるんじゃねぇの?」


 冷めた目で状況を見つめていたスフレイが全員の意志を代弁し、仲間達がわっと少女に近付きます。悪魔のため以上に、心を痛めるミモルのために。

 その中で、当の本人だけは頭に響く誰かの呼びかけに立ち尽くしていました。


「誰なの?」

「ミモルちゃん?」


 赤い髪を散らす悪魔に触れようとしていたエルネアが、主の様子に気付いて手を止めます。


『今ならまだ間に合います』


 低い、男の声でしょうか。先程はびっくりするばかりでしたが、記憶にひっかかりを覚えました。……そう、これが初めてではなく、どこかで聞いたことがありました。


「あなたは誰?」

『よんで下さい』


 問いかけに応えるこの一言で閃きました。


「ねぇ、どうしたの?」


 斜め上を向いたまま独り言を呟いていたミモルが、肩を軽く揺するエルネアへと目線を合わせます。


「声がするの。夢の中で私を呼んでたあの声が」

「まさか」


 それはどちらかと言えば「そんなはずはない」よりも「もしかして」の意を多く含んでいるように聞こえました。心当たりがあるのでしょうか。


『時間がありません』

「おい、放っておいたら今度こそオワリっぽい感じだぜ?」


 膝を付いて悪魔の少女の様子をうかがっていたスフレイが言い、隣に立つネディエも視線を送ってきます。思考を巡らしている時間など、本当になさそうです。


『よんで下さい』


 もう声はすぐそこで鳴っています。すぐ横でささやいているみたいに。


「……分かった」


 時間も、目の前の惨状も、迷う暇を与えてはくれません。なら、出来る事をするだけです。


「みんな、離れてて」


 言って、倒れた少女の前に数歩進み出ると、そんな覚悟に満ちた空気をまとうミモルからそっと全員が距離を取りました。


「ミモル、何をするつもりだ?」

「よぶの」


 何度も呼びかけられているうちにピンと来ました。似たようなケースがこれまでに二度あったことに。一つは数ヶ月前にティストと出会って間もなく、そしてもう一つは更に前の――。

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