第4話 あかい光②

 いくつか薄く切ったようです。それでもエルネアが現した翼に庇われている分、多少の切り傷で済んでいました。


 視界の隅にはネディエが姿勢を低くしてテーブルの影に身を潜めているのが見えましたが、首を巡らせてスフレイの無事を確認する暇までは与えてくれそうにありません。


「っもう、邪魔っ!」


 再び空気のうねりを聞き留めました。次が来ます。ミモルは一瞬止まった息を吸い込み、水の名を叫びました。


「ウォーティア、形持たぬものよ!」


 ずあっと床から大量の水が沸き立ち、幾つもの筋となって赤髪の少女を後ろから襲います。


「わっ!」


 風を起こそうとしていた悪魔はふいを突かれて腕や足を絡め取られ、声を上げて暴れましたが、切っても切っても復元する水に為す術もありません。

 ミモルが強く念じるほどに水は硬さを増し、最後には完全に少女の自由を奪ってしまいました。


「は、放しなさいよー!」


 なおも脱出を試みる悪魔に全員が恐る恐る近付きます。

 スフレイだけは傍観ぼうかんを決め込んでいたようで、一騒ぎが終わったと見るや「へぇ、これが悪魔ってやつか」としげしげ眺めて楽しそうでさえありました。


 衝撃でカーテンは破れ、家具はずれたり倒れたりと、格調高かった客間はすっかりぐちゃぐちゃで見る影もありません。


「凄い……」


 ネディエがその光景に感想を漏らします。部屋の惨状さんじょうにではなく、間近で見た友人の実力に対する気持ちでした。


「ここは私が」


 何故、突然現れ、命を狙ったのか。聞きたいことが山ほどありました。エルネアに任せた方がうまくいくかもしれませんが、ミモルは自分で話を聞きたいと首を横に振ります。


「傷つけるつもりはないの。お願い、話を聞かせて」


 両手を広げて暴れないように優しく伝えたつもりが、触れようとするのを悪魔は激しく拒絶し、「来るなッ!」と叫びます。


「野生動物みたいだな。攻撃能力はあるクセに戦い慣れしてねェらしいし、悪魔ってのはみんなこんな感じか?」

「違う、と思うけど……」


 そうスフレイに聞かれても、答えにきゅうしてしまいます。こちらが知っている悪魔と言えばマカラぐらいで、彼女はこの少女とは全く違うタイプでした。


「ねぇ、どうして私を消したいの? 私達、初対面だよね」


 最初はフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いていた少女は、けれどぽつりと「一人前の悪魔になるためよ」と呟き、今度はきっぱりと言い放ちました。


「悪魔殺しの血を飲んで、あたしも本物の悪魔になるんだっ!」


 叫びと同時に少女を捕らえていた水が一気に弾け飛びました。


『ミモル!』


 耳の奥でリーセンが訴える声を聞きながら、ミモルは己の首にゆっくりと吸い寄せられる爪先を眺めます。やけに時間が長く、鮮明に感じられました。

 ――このままではやられる! そう思った瞬間、唇が勝手に言葉を紡いでいました。


「サリア、聖なるいかづちを!」


 雷の化身が美しい女性の姿となって出現します。その細い指先から生まれた電撃が、水で全身を濡らした悪魔に降り注ぎました。

 激しい閃光と共に、耳を貫くほどのおぞましい断末魔が部屋を満たしました。



「わ、私……」


 うまく瞬きができません。ミモルは気が付くと小刻みに震える体をエルネアに抱き寄せられていました。幼い子どもをあやすように繰り返し「大丈夫」となだめる声が伝わってきます。


 悪魔がどうなってしまったのか、確かめる勇気が出ません。物音はなく、誰も声を上げようともしませんでした。

 自分を、仲間を守るためでした。ああしなければ間違いなくやられていたはずです。だから――敵とはいえ、悪魔とはいえ、女の子を……?


『しっかりしなさいよ』


 いつものように叱咤しったするリーセンの声もどこか空々しく聞こえ、ぽっかりと心に穴が空いたような感覚が胸を支配していました。

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