第2話 話さないわけ①

「これ、夢……?」


 見慣れた暗闇が世界を包んでいます。ミモルは、その闇に溶けるような黒髪を揺らして、周囲に視線を巡らせました。

 と言っても、そうと分かるのは首を振った感覚があるからに過ぎません。不思議と恐れは芽生えず、それどころかどこか懐かしささえ感じました。


『……』

「エル?」


 誰かに呼ばれた気がして、馴染んだ名前を問い返すと、何故ここで安心感を覚えるのか分かった気がしました。


『……』


 聞き間違いではありません。また声にはならない、息遣いのようなものが耳を掠めると、呼びかけてくる相手がパートナーでないことも理解しました。

 彼女の声ならもっとはっきりと聞こえてくるはずだからです。


「リーセン、いる?」

「いるわよ」


 名を告げて手を差し出すと、ミモルに似た、けれどやや低い声が聞こえて優しく握り返す感覚が生まれました。

 リーセンと呼ばれた少女は、子どもをあやすように指先に力を込めました。


「ねぇ、ここって夢の中だよね?」

「『扉』のすぐ近くなのは確かね」


 扉とは、ミモルの精神に宿る天とのつながりのことです。素養のあるものだけが持っていて、開くことで様々な力を引き出すことが出来ます。


「どうして真っ暗なんだろう」


 一度開かれた扉は、使う必要がなく閉じられている間も絶えず光を放ちます。

 ミモルの心の内も真っ白にり替えられ、今はリーセンの住処すみかになっているはずでした。それが何故か再び闇に浸食されています。

「こう暗くちゃ、気分が沈むじゃないの」

「そう言われてもなぁ……うーん」

『ミ……』

 おぼろげだった声に輪郭りんかくが現れ始めました。

「近いわね」

 こっくりと頷いてさらに耳を澄まそうとした途端、別の何かに引き寄せられる感覚に襲われ、目が覚めたのでした。



「誰かに呼ばれた?」


 うん、とミモルは応えて、広がる景色を眺めます。爽やかな風が吹き、草花は通りかかる雲の影を映しています。牛や馬が草をむ牧草地帯を抜ける道は行き交う人もまばらで、なんとも心地よい雰囲気でした。


 三人は簡単な荷物だけを背負い、散歩でも楽しむように歩きます。ネディエに会いに行こうと言い出したのも、こうして徒歩の旅を選んだのもミモルでした。


「エルじゃないよね?」

「違うわ」


 怪訝けげんそうに言って、エルネアは考え込みます。

 家にいようと、遠くへ出掛けようと変わらない彼女のワンピース姿は、その美貌もあって時折すれ違う人の視線をさらいます。


 ただ、じろじろと眺めまわせる剛の者は滅多にいないらしく、誰もが目を泳がせるのでした。

 スフレイが呆れた声をあげます。


「お前ら暇人だな。飛んでいけば一日かからないんだろ? なんでわざわざ歩いていくんだよ」


 帰るついでに同行者となった彼には、ミモルの決定が不思議でたまりませんでした。

 傷もえ、本来の力と姿を取り戻したエルネアの翼にミモルの風が合わされば、かなりのスピードが出せます。


 前に何日もかけて進んだハエルアまでの行程も、ものの数時間で辿りつけるのです。少女は笑って、重みでずれてきた荷物を背負い直しました。


「たまにはいいじゃない。それに、スフレイだって付き合ってくれてるし」


 彼の人間離れした脚力が生み出すのは並の速さではありません。どこかの軍に入って斥候せっこうにでもなれば出世間違いなしでしょう。


「ふん、俺は急いで帰るのが嫌なだけだ」


 苦々しげに鼻を鳴らしてそっぽを向く仕草がおかしくて、女性二人はひそかに微笑み交わします。


「でも、夕方になったら急ぎましょうね」


 昼間は暖かいとはいえ、朝晩の冷え込みは無視できません。急ぐ旅でもないものの、かといって野宿をするわけにもいかないのです。

 ミモルは以前の旅で優しくもてなしてくれた宿屋のおかみさんの顔を思い出し、元気にしているだろうかと思いました。

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