閑話6 謎の歌姫②

 主人のいつにない激昂げっこうに、彼はぽかんと口を開けて見詰めます。


「人間は、あんな風に歌ってたらびっくりするんだよ」

「……男だから?」

「それもあるけど、それだけじゃあこの騒ぎは説明がつかないでしょ」


 今のところ、歌っている現場を目撃されてはいません。にも関わらず噂はあっという間に広がり、正体を探る動きはかなり表面化しつつありました。


「ユーレイか何かだと思われてるのかな……」

「気付いてないの? もし現場を押さえられたら、人間じゃないって絶対にバレるよ」


 視線で問う側近に、王子は人差し指を突き立ててきっぱりと告げます。

 え、と短く声が零れます。そこまでマズい状況だとは考えていなかったようで、彼は目に見えて狼狽うろたえました。


「歌っている時、信じられないくらい綺麗なんだから」


 男性を褒めるのに相応しい表現かどうか解りませんでしたが、他に思い付きませんでした。彼が歌うのは、聞く者が羽根の降る錯覚さっかくさえ覚えるほどの、祝福の歌なのです。


「そ、そう?」


 自らのノドに触れて喜ぶべきか悩んだ反応をするナドレスに、再度ティストは強くクギを刺します。


「上手く言えないけど……神秘的な感じがする。他の人に見られたら一発でわかっちゃうよ」


 ただでさえ突然の登用とうようと人間離れした美貌びぼうに、男女問わず注目の的になっているのです。

「歌姫」と名付けられる程の美声を発しているところを目撃されたら、間違いなく大騒ぎどころでは済まなくなってしまうでしょう。


「僕、嫌だからね。もうナドレスも僕の家族なんだよ?」


 やっと事件がおさまり、家族がそろう落ち着いた日常を手に入れたのに――。食いしばった歯の隙間すきまから絞り出すように、ティストが呟きます。


 青年はそっとひざを折り、うつむく主人の顔を覗き込みました。その緑の瞳に涙は見えなくとも、不安に胸を痛めているのは分かります。


「……大丈夫。歌で起こした騒ぎは、歌で静めればいい」

「歌で……?」


 まかせて。天使は自信たっぷりに笑ってみせました。



 それからも深い時間になると、歌声は響いてきました。時に楽しげに、時に切なげに。美しさには変わりがなく、耳にした誰もが手を止めて聞き入ります。


 変わったのは周囲の反応でした。あれほど口を開けばその話でもちきりだったのが、次第に人々の話題にのぼらなくなっていったのです。


「一体どういう仕掛け? 歌をやめたわけじゃないのに」


 かたわらで拝聴はいちょうしていたティストが、その日最後の一曲を終えた青年にたずねました。

 特等席をおさえられる権利を捨ててしまうのが、あまりにも勿体もったいなくて、問い詰めて以降、時々こうして聞きにきているのです。


「最後の一曲だけ、術をのせてあるんだよ」


 宵闇よいやみの中、部屋にもとした明かりだけがほんのりと顔を照らします。でも、歌っている間だけ白く輝いて見えることに本人は気付いているのだろうかと少年は思いました。


「もしかして、みんなの記憶を?」

「そう、ぼんやり薄れさせる術。みんな、夢か幻だと思いこんでるはずだ」


 言って、彼は悪戯いたずらっぽく笑みを濃くします。


「僕も忘れちゃうのかな」

「ティスト様には効かないよ。国王様にも、王妃様にもね」


 歌の間はゆずって静かにしていた虫や獣たちが、競うように鳴き始める中、それにかき消されない程度の声音で二人は会話を交わします。


「明日も聞きに来ようかな」

「あんまり毎晩ウロウロしてると怪しまれるよ」


 ご所望ならこちらから参ります。わざとふざけてナドレスが腰を折ると、ティストは目を細めて忠告しました。


「分かってると思うけど、飛んできたりしたら駄目だからね?」


 《終》


 ◇エルネアやヴィーラと違ってナドレスはまだまだ未熟なので、あちこち抜けているところがあります。

 王族の三人はヒヤヒヤしていることでしょうね;

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