第30話 つらぬかれた胸①

「シェアラ」


 少年が名を呼ぶと、エルネアとムイをがっちりと押さえ込んでいた女性が何の未練もなく手を離します。

 解放された二人は弾かれたように駆け寄って、ミモルの身を確かめましたが、一言も発する事はありませんでした。


「ボクは退場するよ」


 主とともに消えるにしろ、己で生きて行くにしろ、天使にとってそれは最後の挨拶になるはずでした。しかし、振りから察するにそもそも心配するつもりがないのでしょう。


 すでに最期の時を迎えつつあるサレアルナは、長い睫毛まつげを震わせ、目蓋まぶたを閉じます。

 追おうとするクルテスも、あっさりとした別れの挨拶を告げただけで、彼女に真っ直ぐ向き合いました。


 やがて洞窟状の遺跡に入口から風が吹き込んだと思ったら、蝋燭ろうそくを吹き消すように、ふっとかき消えてしまいます。

 この世界を創った存在だとは思えないほどのはかなさでした。


「クルテ――」


 シェアラは、長年苦しんだ主にねぎらいの言葉をかけたかったのでしょうか。ミモルには確かめることが出来ませんでした。

 ――黒い影が踊り、言葉が途切れたからです。ぱぱっと何かが飛び散りました。


「……え」


 シェアラの近くに立っていたミモルは、顔に付着した液体を指で拭って目の前の光景と見比べます。露出の多い胸元から、真っ赤に染まった手が突き出ていました。


「あ……うぅ」


 妖艶ようえんな目元には苦痛が、腹部にはじわじわと赤が広がり、呻きがれます。やがて咳き込むと、温かい血が弾き出されてきました。


「い、いやぁっ!」


 少女の叫びが空間を震わせます。惨状のせいばかりではありません。シェアラの後ろに立つ人物が、あまりに恐ろしかったからです。


 エルネアが、ミモルの前に壁のように立ちふさがりました。いかに返り血を浴びようと、攻撃をされようと、その場から一歩も下がるつもりはありません。


「主と共に消えなさい」


 それは同じ顔の持ち主――クピアの声でした。鮮やかな髪、瑞々みずみずしい唇や肌、そのどれもが自ら貫いた赤に染め上げられていきます。


「この、木偶でく人形め……!」


 シェアラが憎々しげに呟いて身をよじるも、余計に傷口を広げるだけで脱することは出来ません。クピアは、あざけりを無視して更に力を込めました。


「あぁ、うっ」

「やめて!」


 ミモルはエルネアの背中越しに叫びます。せっかく、形はどうあれ事件に決着が付きそうだったというのに、どうしてこんなことになるのかが理解できません。


「ったく、一体何だってのよ」


 ちらりと、声を発したムイに視線を走らせると、彼女は意識を失ってぐったりとしたティストを抱えていました。

 体を支配していたクルテスがいなくなったためですが、目覚める気配はありません。一刻も早い治療ちりょうが必要に見えました。


「あなたの役目はもう終わったのよ。お願い、退しりぞいて」


 刺激しないよう、小声でエルネアが説得します。その間にも血は流れ、地面をっていきます。


「役目なんてどうでもいい。この女さえ消えてくれれば」

「……人形のくせに、分不相応なものが、欲しくなったの?」


 シェアラは力なくひっと引きった笑いをこぼしました。抵抗は諦めても、最後まで屈するものかと瞳の輝きが語っています。


「うるさい。あんたを消して、ロシュを手に入れるんだから!」


 そうか、それで。

 ミモルは胸にきあがった違和感の正体を突き止めました。

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