第30話 つらぬかれた胸②

 クルテスの封印が解けた後、神のこまでしかなかったことに絶望したはずの男――ロシュが消えました。てっきりクルテスかシェアラの手に落ちたと思っていたけれど、そうではなかったのです。


「あの、脱けがら男……どうなったの」


 切れ切れに喋る間にも、こほこほと小さな咳が混ざり、赤い飛沫しぶきが吐き出されます。死相が濃く浮き出ていました。


「利用するだけして見向きもしなかったくせに、今更気にするの」


 痛い、痛いよ。


 二人が残酷な言葉の応酬をするたびに、ミモルは体を刃で切りつけられたような心地がしました。直接的な憎しみが、他人の心に敏感な少女の精神を裂いていきます。


「もうやめてっ!」


 ただ、目の前の状況をなんとかしたい一心で手を伸ばした瞬間、ぼろっと音がしたように思えました。

 ――燃え尽きた炭のようにシェアラだったそれは砕け、弾けて霧散しました。


「あ……」


 目的を達したクピアは喜びを隠せない表情で去っていきます。誰も追おうとはしません。触れることのなかった指先を、ミモルはしばらく宙に彷徨さまよわせていました。



「僕……」

「ここがどこだか分かるか?」


 ティストは数分後には目を覚ましました。後から駆けつけたナドレスが必死に治癒をほどこしたおかげで、ふらつきながらも立つこともできました。


 ナドレスに支えられ、未だ揺れる視線のまま彼は頷き、「なんとなく覚えてる」と呟きます。

 思い出したくもない出来事でしょうが、これから次第に記憶がよみがえってくることでしょう。ムイが言いました。


「さて、と。とにかく帰ろうじゃないの。こんな湿っぽくて狭苦しいところにこれ以上いるのはごめんよ」

「そうね。外へ出ましょう」


 ぱんぱんと服を払うとほこりが舞います。エルネア達は、遺跡の入口に立つスフレイの姿を見ても無言で通り過ぎました。

 行く手をふさいでいたあの黒衣の女性がどうなったのか、知りたくもないと言わんばかりで、彼も何も語ることはありませんでした。


 城へ帰る前にもう一度寄りたいというティストの願いで、ミモル達は最初に出会った教会へと足を向けました。


 貴族の邸宅が建ち並ぶエリアから遠いこの一角に住むのは平民達であり、王都に暮らしながらも生活は易しいものではありません。

 中には明日食べる物に困る者もいます。


 そんな者達に救いの手を差し伸べ、心のり所となっているはずの教会は、今回の一件で窓が割れて散乱し、壁にはひびが入り、惨憺さんたんたる姿をさらしていました。


 ちらほら見える人影は教会のシスターでしょうか。突如起きた悲劇に慌て、どうすれば良いか悲嘆に暮れているに違いありません。


「僕、教会の人達と城のみんなが仲良くなれるように頑張ってみるよ」


 声をかけるわけにもいかず、物かげからそっと様子をうかがっていたティストが言いました。


「お母さんは教会の人だった。きっと、たくさんの人を助けてきたんだと思う。お父さんと結婚する時も、自分が行けば幸せになれる人がいるって考えていたんじゃないかな」


 想像するしかないけどね、と振り返って苦笑する横顔はやつれ、年齢に似つかわしくない影が射しています。


「ティストのお父さんもお城のみんなも、術が解けて正気に戻っているはずよ」

「王子様がいなくなって大騒ぎしてる頃かもね」

「ミモル、みんな、ありがとう」


 エルネアとムイが言い、彼も頷きます。ミモルは笑って首を振り、「それより」と話しの矛先ほこさきを変えました。


「ティストに会わせたい人がいるの」

「会わせたい人?」


 さっと全員が道を開くように身を引き、その向こうから歩いてくる誰かを少年に披露ひろうしました。

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