第五章 神のはかりごと

第18話 じけんの発端①

「あの顔、あれは、さっきの、……どういうことだ?」


 疑問が意味をなす前に落ちては消えていきます。そして応える者のないまま、事態は動きました。

 少年が怪しげに微笑み、その像の手にそっと自らの指先を乗せます。背丈の差と相手が物言わぬことを除けば、まるでダンスでも踊りだしそうです。


『やぁ、シェアラ。随分と待たせたね。またボクの傍に舞い降りておくれ』

「嘘だろ……」


 さぁっと世界が色を変えました。見る間に真っ白だった像は血の気を取り戻し、唇が鮮やかに赤く染まり、髪が濃いピンクに彩られ、つやを放ちます。

 一刻前までの彫像は綺麗に消え失せ、今やそこにはにこやかに微笑む女性が立っていました。


 エルネアを清楚と表現するなら、シェアラと呼ばれた彼女の容姿は妖しさに満ちています。笑いかけられれば誰もが見惚みとれ、たちまちとりこになってしまうでしょう。

 毒々しいまでに赤みを帯びた唇から、鳥のさえずりのような声が溢れます。


「こうして貴方様に再びお仕えする日を心待ちにしておりました」

『ボクも嬉しいよ。彼のおかげなんだ』


 少年から目を逸らさなかったシェアラが、初めてロシュを視界に捉えました。彼は喜びに打ち震えているのか、固まったまま動きません。

 ――その感激を、彼女のセリフが打ち砕くまでは。


「彼のおかげ、なんて……ふふっ。ご主人様がご用意なさったこまですもの。正しく動いて当然でしょう?」

「な……」


 用意した駒。その言葉にロシュが絶句し、酷くショックを受けているのがうかがえました。逆に冷静さを取り戻したのがムイです。


「ちょっと、こっちを無視しないでくれる? そろそろ事情説明くらいしてくれても良いんじゃない?」

『何をだい?』


 少年はキョトンとした表情で首をすくめました。こちらのことなど、ほとんど興味がなさそうな態度です。


「その女、さっき攻撃してきたわよね」


 女とは、つい一瞬前まで彫像だったはずのシェアラのことです。

 彫像から生まれ変わった彼女の姿が、先ほどミモルを操って攻撃してきた黒い翼の天使とそっくりだったのです。


『……いいや? あぁ、あれは彼が作った人形だよ』

『シェアラが欲しくてたまらなかったんだろうね。それも、仕方のないことだけれど』


 ロシュの肩がぴくりと震えます。

 不敵に微笑む少年は、どんどん「ティスト」だった頃の面影を失いつつありました。新たな肉体に、魂が馴染み始めているのかもしれません。ロシュは声を絞りだしました。


「どういうことだ……?」

「おかしいこと。あなた、まだ全てが偶然だと思っているの? せっかくご主人様がお選びになって下さったのに、思ったより頭の回転がよろしくないのね」


 男の中で、そしてムイの脳裏で、これまでの一連の事件がパズルのように組み上がり、一つの絵を描いていきます。


「私はね、『餌』なのよ」

『シェアラ、あまり言っちゃあ可哀相だよ』

「あら、ご主人様は本当に慈悲深くていらっしゃるのね。でも、こんな男に情けをかけても無意味というもの」


 言って、少年を抱きしめるように腕を回します。彼も優しく抱き返し、二人は消えていき始めました。


「参りましょう。やっと長年の夢を叶えられる――胸がはち切れそう」

『そうだね』

「待ちなさいっ!」


 捕まえようと手を伸ばすムイでしたが、虚しく空を掴んだだけでした。

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