第17話 かなえられた願い②

 暖かい手をそっと離すと、少女を見つめます。


「……助けてくれたのか?」

「神の使いを甘く見ないで。しばらくはあんたの時間を止めておいてあげる」

「時間を止める? そうか、これがクロノ様の力……」


 ナドレスは呆けたように呟きました。それは、時を司る神であり、ムイが仕える主の名でした。空間に穴を開けてみせたアルトのように、肉体の時間を止めるくらいの能力を彼女は備えているのです。


『ねぇ、おいでよ』


 ひたり、と素足で地面を蹴る音と聞きなれた声に二人は振り返りました。ふいに冷たい風が奥から吹きぬけます。閉じられた地下という空間で空気が頬を撫でていく感触に、鳥肌が立ちました。


『どうして、ボクを拒むの』


 その声の響きは彼らを硬直させます。聞き慣れたと感じたのは一瞬で、「同じ」でも「違う」と直感が訴えていました。ひどく寒気がします。


『ずっと傍に居てくれるんでしょ?』


 光は徐々に失せていき、輪郭りんかくがぼんやりと現れ始めました。ムイは両腕で自身を抱きしめながら、唇を噛み締めました。


「……こうなる前にサレアルナ様に目覚めて頂く予定だったのに。あんた達のせいでみんな後手後手よ」


 ロシュは「それは、どうも」と嘲笑あざわらいながら、待ち望んだ瞬間が訪れるのを見詰めます。


「さぁ、君達も特等席で見るといい、『神の復活』を」

『あぁ、随分と懐かしい感覚だよ。本当に久しぶりだ』


 光の中から現れた少年は、五感全てを噛み締めるように言いました。

 背中の中ほどまで伸びた長い髪が、さわさわと揺れています。淡い緑の色も、かつての気弱そうな瞳も、すでにどこにも見つけることが出来ません。


「ティスト様、なのか?」

『そうだよ。分かるでしょ』


 二つの音が同時に耳に飛び込んで、聴覚に優れるナドレスは痛みを覚えました。一つは自らを召喚した主のものに間違いありません。それに重なって、別の声も聞こえてくるのです。

 ムイが「違う」と鋭く言い、近寄ろうとしていた彼の足を止めました。


「肉体はティストのものでも、中身は別物よ」

『ひどいなぁ。久しぶりの再会だというのに』


 幼い声音と相反し、少年は大人ぶった言葉を選ぶことにも喜びを見出しているようでした。


「そんなことはどうでもいい」


 一言のもとにロシュが話を切り捨てました。彼は、少年という器を手に入れた「人知を越えた存在」に詰め寄ります。


「さぁ、わざわざ復活させて差し上げたのです。褒美として、一つくらい私の望みを叶えて下さっても良いでしょう?」

「望み?」


 問い返すムイには一瞥いちべつもくれず、青年は小さな「神」に片膝をついて手を取りました。王宮暮らしで苦労を知らなかった手は、今回の一件で荒れてしまっています。

 

興味を覚えたのか、少年は愉悦ゆえつを含んだ笑みを浮かべました。まんざらではない様子です。


『そうだったね。ボクを外に出してくれたのだもの。望みの一つくらい、叶えてあげないとね』


 青年は「神」の意志が気まぐれに変わってしまうのを恐れるかのように、ささやかな喜びを口元に表しました。

 少年がすっと手を差し出します。すると、それに導かれるかのように白い何かが彼らの前に浮かび上がりました。


 あぁ、とらしたのはロシュだったのでしょうか。ムイ達は確かめることすら忘れ、光景を凝視していました。


『お前の望みはこれだろう?』


 それは真っ白な彫像でした。……いえ、彫像と呼ぶには、あまりにも生命力に溢れています。


 腰からふわりと広がるスカートや、豊かな胸元や波打つ髪が、今にも風になびきそうな女性の石膏せっこう像。肌もつややかで、触れれば指を弾き返しそうです。


 そんな見る者を惹きつけて止まない、恐ろしささえ感じさせる魅力を、その像は惜しげもなく放っています。

 ですが、ムイ達が目を逸らすことが出来なかったのは別の理由からでした。

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