第15話 きえていく悲しみ②

「ね、耐えられないでしょ? だから、今すぐケリを付けてあげる」


 言葉と共に空中に出現した黒い無数のはねが、真っ直ぐに少女を襲います。

 先が鋭く尖ったそれは、教会で受けた硝子片よりずっと強い閃きを放ちながら、黒い軌跡を描いて恐ろしい速さで飛んでいきます。


 リーセンは未だ苦しみから脱することが出来ず、うずくまっていました。防御はおろか、避けることすらままなりません。


「駄目!!」


 白いシルエットが踊りました。

 ミモルは、両肩に手を置いて預けてくる彼女の体重を受け止めます。

 鼓動が激しく脈打ちました。


「え、エル?」

『間に合わなかった』


 後悔を訴えるリーセンの声を耳に受け止めながら、ゆっくりと青い瞳を見詰めます。荒い息が頬にかかりました。


「……よかった。術から解放されたのね」

『あいつが逃げたからでしょ』


 クピアは隙を突き、どこかへ姿をくらましました。


「ご、ごめん。分かってたのに、逆らえなかった」


 自分を置いて去った両親に問いかけられない「何故」。その理由を昔から何度も想像してはかき消してきました。

 きっと止むに止まれぬ事情があったのだと思いこむしかなかったのです。クピアの言葉はそんな心を埋め、なぐさめてくれる気がしました。


「いいの。仕方がないわ……」

「!」


 ふらり、とその身が揺れます。支えようと掴んだ手に生暖かい物が触れ、ミモルは言葉を失いました。ねっとりと赤く、濡れています。

 見れば背中にもいくつも濃い染みが広がっていました。白い翼にも黒い羽根が突き刺さり、色を変えていきます。


「エルっ? ねぇ、しっかりして!」

「抜いては駄目よ。毒がられているみたい」

「なに、これ」


 思わず指先を固まらせました。エルネアの体が淡く光を放ち始めます。それは無数の泡のように見えました。肌や、服や、いたるところから溢れてくる――光る羽。


 どんどん生まれては宙に溶けていくそれが、天使を構成しているものだと気付くのに、時間はかかりませんでした。


「あっ。いや……駄目だよ」


 彼女を支える自分の腕が透けて見えます。存在が薄らいでいるのです。ミモルはありったけの力でパートナーを抱きしめました。


「あなたに怪我がなくて、よかった」


 力ない微笑みを浮かべながら、透けた手でミモルの顔に触れてくる指先が、ほんのりと暖かく感じられます。

 うるんだ青い瞳が細められ、長い睫毛まつげがゆっくりと触れ合いました。次の瞬間、彼女の全身を光が包み、ぱっと弾けます。


「待って!」


 割れんばかりの声で叫んでも、きらきらと輝く羽根は構わず空へ向かって飛んでいきました。

 誰かが、悲しむことはない、と言います。彼女は使命を果たしたのだからと。


「違う。私はエルにそんなこと望んでない。ただ」


 ただずっと、傍に居てほしかっただけです。ミモルは立ち上がり、首が痛むのも忘れて追いかけました。


「お願い、連れていかないで。エルがいなくなったら、私、何もない」


 孤独が迫ってきます。すぐそこまで来て、手招いているのが感じられました。ぽろぽろと雫が零れ、鼻の奥がつんと痛みます。

 にじんだ景色に重なって、エルネアと過ごした年月がよみがえってきました。


 朝、目覚めれば聞こえてきた生活の音や、温かい料理、作ってくれた服、次は何をしようかとアイデアを考えている時の楽しそうな横顔。


 どの場面を思い出しても、彼女の心はいつもミモルに向いていました。一緒に笑い、時に心配し、間違ったことをすれば叱ってくれました。

 いつしか視線はぼんやりと庭園に植えられた花々へと落ちていきます。


「あんな声に耳を傾けちゃ、いけなかったんだ」


 自分を想ってくれているのが誰なのか知っていたのに、他の手を取ろうとしてしまいました。これはその罰なのだと、ミモルは思います。ならば、受けねばなりません。


「そんなに、大切ですか?」


 はっとして振り返りました。孤独が形になって現れたのかと思ってぞっとしましたが、そこに立っていたのは先ほど自分達を救ってくれたアルトという少女でした。

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