第13話 しろい霧②

「仕方ないわ。緊急事態だものね」

「エル?」


 美しく敷き詰められた煉瓦れんがの廊下を見下ろしながら、天使は顔にかかる髪を払ってゆっくりと数歩後退します。


「ナドレス、この真下なのね?」

「この辺りなのは確かだけど……どうするつもりだ?」

「道がないなら、作るまでよ」


 ふうっと息を吐き、エルネアは瞳を閉じます。目蓋の長い睫毛まつげ同士が触れ合いました。彼女は足を思い切り上げ、地面に振り下ろしました。

 ガラガラガラッ! 硬い煉瓦がまるで積み木のおもちゃのように、もろく崩れ去ります。見る間に人が通れるほどの穴が開きました。


「さぁ、行きましょう」


 ぱたぱたと払うその肌には傷一つどころか赤らんでさえいません。一体その細身のどこにそんな脚力が備わっているのか、本当に不思議です。

 ミモルは改めてパートナーの力を実感しました。と同時に、それは彼女が人間ではないのだと思い知った瞬間でもありました。


「エル、すごい……。と、とにかく行かなきゃ」


 そう言って穴を覗き込もうとしたミモルの肩を、誰かが強く掴みます。見れば、顔をしかめて外へ目をやるムイが腕を伸ばしていました。


「待って。誰かいる」

「えっ?」

「随分と乱暴な天使ねぇ」

「まさか穴を開けちまうとはな」


 聞こえてきたのはくすくすという笑いと、複数の声です。一つは女性、もう一つは男性のもののように聞こえました。すぐさま、先ほどの男の影が頭を過ぎります。


 しかし、姿を確認しようと目を凝らすよりも前に、霧が辺りに立ち込め始めました。白い人影がうごめきます。


「ロシュの邪魔をしないでくれる?」

「あいつの仲間か? 生憎あいにく、お前達の相手をしている暇はないんだ」

「威勢がいいのね。実力を伴っていれば、もっといいんだけど」


 絡み付くようなねっとりとした口調は、かつてミモルが敵対した悪魔を彷彿とさせました。霧はどんどん濃さを増します。敵の術によるものだということは明らかでした。


「エル、これって」

「大丈夫よ。毒じゃないみたい」

「失礼ね。そんな詰まらない真似はしないわ」


 辺りはいよいよ白く、近くにいる互いの顔もはっきりとは見えないくらいになってきました。


「私の手を離さないで」

「う、うん」


 掴んだ手に力を込めるミモルの肩に、ムイもまだ触れたままです。ナドレスも傍にいる気配があります。


 一か所に固まっていれば格好の標的にされてしまうことは分かっていましたが、バラバラになってしまうよりはマシだと、パートナーは判断したのでしょう。


「ナドレス、声でなんとか出来ないの?」


 ムイアが焦れったく言うと、空気の流れで首を横に振っているのが感じられました。


「効果の範囲には限界があるんだ。敵が見えないんじゃ、威力も半減だ」


 彼の武器は声です。効果は本人から円状に広がることになります。相手の居所いどころが分かれば距離を延ばすことも可能ですが、この状況では不可能でした。


「それにこの霧に響きを邪魔されて、満足に歌えそうにない」

「どちらにしても、霧をなんとかしなきゃ話になんないってことね」


 湿った空気がじっとりと体に纏わり付き、服も重みを増したようです。どこから攻められても対処出来るように、じりじりと互いが触れ合うほど近付きます。


「ミモルちゃん、風で吹き飛ばせないかしら」

「やってみる」


 片手をゆっくりと差し出し、風の名を呼ぼうとした時でした。耳元で、低く声がささやきました。


「それで守っているつもり?」


 えっ、と思う間もなく、何かが少女を後ろから貫いていました。強い衝撃に、体が前へ持っていかれそうになります。

 繋いでいた手が離れ、地面が迫り、視界がぼやけていきました。ミモルは咄嗟とっさに思います。


『リーセン、助けて……』

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