第12話 とどろく叫び①

 するっとムイは顔を引き抜き、「バッチリ」と笑いました。


「別にアルトを疑うわけじゃないけど、あっちも何か仕掛けをしているかもしれないし。念には念を入れないとね」

「仕掛けって?」

「無理矢理通路を作って通ろうとする者を排除する罠なんて、いくらでもあるってこと」


 苦痛を与える手段は暴力だけではありません。かつての旅でそのことを味わったミモルは、それ以上の思考を止めました。

 ムイが安全だと判断したのです。ならば杞憂きゆうに利点などありません。


「えと、じゃあ通るよ」


 恐る恐る手を伸ばし、指先で触れてみます。光の断面が波打ち、向こう側に廊下が透けて見えました。

 えいっと気合いを入れて飛び込みます。大丈夫と頭では分かっていても、気付かず目をつむっていました。


「出られて良かったわね」

「あ、うん」


 後ろから聞こえたエルネアの声が強張った体をほぐします。敷かれた絨毯じゅうたんをしっかりと踏みしめ、左右に続く廊下を観察しました。


「すごいね」

「それでは失礼致します」


 一番最後にアルトが扉を抜け、開いた時と同じ仕草で空間を閉じます。用件を終えて帰ろうとする彼女にムイが軽く礼を言い、ミモルも慌てて頭を下げました。


「行っちゃったね」

「アルトも忙しいからね。今回は緊急事態だったから反則技を使わせて貰ったけど」


 言って、きびすを返し歩き出そうとする神の使いの背を、ミモルは再度呼び止めます。


「さっき言ってた『嫌な予感』って何なの? 教えてよ」

「いや、でも……」

「もう、知らないままなのは嫌なんだよ」


 ミモルは唇を噛みしめました。この世は善悪だけで測れるものではありません。それも旅の中で彼女が苦しみと共に学んだ事実でした。

 害をなす相手を憎むばかりだったなら、きっとあの哀れな悪魔を救えはしなかったでしょうし、姉も取り戻せなかったと思うのです。


 エルネアと二人きりで暮らす穏やかな日々は、少女の気持ちをこんなふうに昇華させていました。ミモルは一つ一つを、息を区切るようにして言い切ります。


「私は、知らない悲しみより、知る痛みを選びたいの」

「ミモルちゃん」


 エルネアはぎゅっと服の裾を掴み、この瞬間を目に焼付けました。出会った頃、ミモルは失ったものの大きさに打ちひしがれ、うつろな空洞のようでした。


 それがひどく昔のことのように思えるほど、今の彼女の瞳は強い光を放っています。


「推論の域を出ない話でも?」

「だったら一人で考えるより、みんなで考えた方がいいよ、絶対」


 ムイが腕を組み、真剣さの度合いを測るように呟くと、ミモルは笑って断言しました。神の使いは毒気を抜かれたような表情を浮かべ、手をひらひらと振ってみせます。


「分かった。私の負け。……私達の探し人が、ティストかもしれないって予感、するのよ」


 数秒、空気が凍結されたみたいに、息を詰める音しか聞こえなくなりました。


「どういうこと?」


 エルネアの声は驚きで裏返っています。彼女にしては珍しく冷静さを欠いた発言です。ムイに説明を求め、肩を掴んでガクガクと揺さぶりました。


「ちょ、ちょっと、揺すらないでくれる? ……気持ち悪い」

「え、あぁ、ごめんなさい。それで、一体どういうことなの。ちゃんと説明して」


 乱れた息を整えたムイが、壁に背を預けて足を組みました。握った拳から指を突き出しながら、理由を話します。


「一つ目は、ティストの血の由縁の謎。二つ目は、王族に取り入ったくせに権力に興味のなさそうな敵」


 ミモルは自分が寒くもないのに腕をさすっていることに気が付きました。ムイは口の端だけを上げて自嘲じちょうぎみに笑います。


「妄想の飛躍ひやくだと思う?」

「何の話だよ」


 ぽつり、と困惑をらしたのはナドレスです。彼は不満を隠そうとはしませんでした。


「まだ聞いてなかったよな。お前達は一体何のためにここへ来たんだ? ただの観光じゃないんだろ。神の使いまで連れてるんだから」


 無理もないことです。事件の現場にばれ、ここまでまともな説明がなかったのですから。ムイはミモル達の視線を受け、髪の毛をくしゃくしゃときむしりました。


「時間もないから要点だけ教えとく。ただし、歩きながらね。さ、とっととティストの居場所を教えなさい」

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