第三章 くにの中枢へ

第9話 王のしろへと①

「何人目?」

「何が」

「その様子だと契約したばかりのようだけど……そこの王子様で何人目だって聞いてるの」


 ミモルはムイの冷たい物言いに、薄氷の上を歩くような心地を味わっていました。


『主の人数って記憶がなくても分かるものなの?』


 天使は主人に喚ばれ、その命が尽きると天に還り、記憶を封印されます。そしてまた次の人間に呼ばれるのを待つ、というサイクルを繰り返しています。


『そうね……、厚みは見えるのに開くことが出来ない本をイメージして貰えば分かりやすいかしら』


 大きさや読んだことは覚えているのに、ぴったりと閉じてしまっている本を想像してみます。ミモルにはやり切れない思いがしました。


 エルネアは何人目なのでしょうか。気にはなりつつも、とてもたずねる勇気は起こりません。

 それは、古い傷口を覗いて「どうして怪我をしたの」と聞くような行為だからです。


「どうしてそんなことをお前に言わなきゃならないんだ」

「もしかして数、数えられないとか?」

「ふざけるな。そんなわけあるか」

「じゃあ何人目?」


 ナドレスはしばらく逡巡しゅんじゅんし、やがて絞り出すように言いました。


「……一人目だ」


 意味を知らないティストを除き、そこにいた全員が驚いたと同時に合点もいきました。

 主の人数は多ければ多いほど長く生きていることを示し、守護者として熟練じゅくれんしていることになります。


 ナドレスが言い渋ったのは、初任務だと知られるのが嫌だったからに違いありません。


「どうしたものかしらね」


 最初に緊張の糸を切ったのはムイで、こめかみをぐりぐりと指で押し込んでいます。


「さぁ、今度はそっちが答える番だろ。お前は何者なんだ?」

「あのねぇ。仮にも天使なら、会ったことくらいあるはずでしょうが」


 しかし、彼は首を捻っています。らちが明かないとばかりにエルネアが簡潔かんけつに言いました。


「彼女はムイ。クロノ様の使いよ」

「い……!?」


 彼のショックは相当のものだったようです。二の句が継げないらしく、口をぱくぱくと動かすだけで声になりません。


「あの、僕にも教えて欲しいんだけど」


 おずおずと言葉を挟んだティストに、エルネアも笑顔を取り戻しました。彼が知らないのは当然のことで、ぴりぴりとした空気を味合わせるのは可哀相というものです。


「ムイは神々の側近のような存在なの。今は事情があって私達と行動を共にしているのよ」

「初めましてが遅くなって申し訳ないわね。私はムイ。ってことでよろしく」


 少年は握手のために差し出された手を握り返すのに数秒を要しました。今の今まで明らかに苛付いらついていた彼女が、急ににこやかになったせいです。


 ただ、その辺りは王族としてのしつけ賜物たまものか、社交場で見せるような笑顔を取りつくろいました。


「テ、ティストです。よろしく、お願いします」

「やだなぁ。敬語なんていいってば。かた苦しいの嫌いだし」

「じゃ、じゃあ……よろしく」


 二人が距離を縮めつつある間、ナドレスはまだ立ち直れずにいました。

 そういえば見たことがあるような、などとブツブツ呟いています。しびれを切らしたムイは盛大に溜め息を付きました。


「ちょっと、まだ狼狽うろたえてるの? 今すぐしゃんとしないと、使い物にならないって報告するわよ」

「なっ……するっ。しゃんとするからそれだけは止めてくれ!」

「なんだか先生と生徒みたいだね」

「というより、上司と部下かしら」


 慌てふためくナドレスに登場時との落差を激しく感じてしまい、ミモル達も苦笑いです。


「でも、初めてだということが先に分かって良かったわ。いざという時の失敗の要因になりかねないところだったもの」


 冷静に分析するエルネアの言葉には、安っぽい同情など一切ありません。天使が使命を果たせなかった時、それは主の死を意味するのです。

 そこに曖昧あいまいな感情を差し挟む余裕はありません。


「『いざという時』? どういう意味だ」


 ナドレスは真剣な眼差しで自分を見詰める瞳に怪訝けげんな表情を返しますい。召喚されて間もない彼は、まだ事態を完全に把握している訳ではありませんでした。

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