第7話 清浄なるうた②

 ふいに、音が戦場を支配しました。


「これは、歌……?」


 それも高い、女性のような声です。か細いのに、しっかりと耳に入ってきます。歌声は緩やかな旋律を描きながら、三人を包み込みました。


「……ぐっ」


 敵がどさりと膝を付きます。頭を押さえて、何かに耐えているようです。


「何が起きたの?」

「直接、脳に振動を送っているんだ」


 ミモルとエルネアが同時に振り返ると、歌が止んで、やや低い声がしました。


「どんなに強さを誇示する者でも、頭の中を揺さぶられるのは我慢ならないはずだ」


 三つ編みに結った、長い紫の髪が背中で揺れています。閉じられていた目蓋まぶたから髪と同じ色の瞳が現れ、唇が薄く開かれます。

 すると、一度止まったメロディが再び生まれました。


「……うそ」


 ティストが立っていました。意識が朦朧もうろうとしているのか、うつろな表情をしています。


 その後ろに、少年を包み込むように両腕と、そして翼を広げた青年がいました。そう、10代後半にも20代前半にも見える外見の若い男性です。

 しかし、彼の歌声は女性のように高く、同時にとても清らかでした。


「召喚が成功したのね。あれは声を司る天使だわ」


 異質な光景のはずなのに、違和感はありません。まるで光の帯が見えるようです。その光にさいなまれ、女性は身悶みもだえ、激しく苦しんでいます。

 そうか、とミモルは納得しました。


「声は触れない。だから消すことも出来ないんだ」

「それに、こうも苦しくては術を編むことも難しいでしょうね」


 この状況を打破するには天使そのものを消滅させる必要がありますが、エルネアの推測どおり、それほどの力を溜めて放つ余裕が相手にはありませんでした。


「一度だけ言う。――立ち去れ」


 ふっと音が止み、途端、教会の影に溶けるようにして闇が消えました。



「しっかりして、ティスト!」

「……ん、あれ」


 肩を掴んで揺さぶると、半分ほど開いていた少年の瞳に光が戻りました。よろめく彼をその場に座らせ、状態を見ます。


「外傷はなさそうね。でも、消耗しているわ」


 無理もありません。召喚と同時に天使は力を発動させなければならなかったのです。その負荷を受けたのでしょう。そして、ミモルをそっと下がらせる気配がありました。


「ティスト様」


 響きはまたも外見通りの男声に戻っています。

 主人のぼんやりとした視界に入るように、彼は膝をついて覗き込みました。紫の前髪が揺れ、奥から心配そうな瞳の色が現れます。


「だれ?」


 天使は少年の左頬に触れて言いました。


「俺の名はナドレス。あなたの守護者だ」

「守護者……。僕を、何から守ってくれる?」

「脅かす全てから」


 ミモルはこの光景を前にし、青年の言葉が真実であることを痛感していました。

 天使は守護者です。体を張り、命をかけて災厄を退け、邪な思惑を消し去ります。


「本当だよ。天使は何からだって、守ってくれるんだよ」

「ティスト様。さぁ、最初の命令を」


 命令と言われて王族としての自分を意識したのでしょうか。少年は目を見張り、足に力を込めて立ち上がりました。唯一無二のしもべをしっかりと見下ろします。

 互いに一切目線を外さず、すぅと息を吸い込む音がしました。


「王と、この国を助けて」

「御心のままに」

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