第二章 新たなあらわれ

第5話 くろい刺客①

「じゃあ、成功だね」

「えっ?」


 にっこり笑って言うミモルに、ティストも目線を合わせてきます。そっと、少女はその拳を包むように握りました。緊張して汗ばんでいるのに、随分と冷たくなっています。


「もっと詳しく話を聞かせてくれないかしら」


 彼はぽつりと「うん」と呟き、深く頷きます。一つ一つ起こった出来事を鮮明に思い出しているのか、言葉を確かめながら話し始めました。


「お父さんの玉座から、黒い煙が出てきたんだ。でも、変なんだ。僕はびっくりしてるのに、他のみんなには見えてないみたいだった。そのうち謁見の間全体に煙が溢れて、みんなの目つきが変わって、僕を」


 そこまでで言葉が途切れます。彼は恐ろしい体験を反芻はんすうしたせいか、よろけて両膝を付きそうになるのをぐっと踏み止まりました。


「黒い煙って、まさか」

「そんなはずはないわ」


 青い顔で先を続けようとしたミモルを、エルネアがさえぎります。けれども、抑えようとしても止めなくよみがえる記憶がありました。


 それは、けがれた空気に命を奪われた義母の姿です。また、誰かが辛い思いをしなければならないのでしょうか。

 自分よりずっと顔色を失った少女を、ティストが心配げに覗き込みます。


「ミモル、どうしたの? ごめん。怖がらせちゃった?」


 女の子にはショックが強い話だったかもしれない。そう思い、肩に触れようと手を伸ばした時。

 パリィン! それは、耳を容易に貫き、全身に嫌悪感が走るほどの高音でした。


「なっ、何の音……きゃあっ!」

「危ないっ」


 見上げかけたミモルとティストが目にしたのは、しかし天井ではなく、おおい被さってくるエルネアの影です。


 がしゃがしゃっという落下音が絶え間なく続き、彼女の腕の隙間から見えた光の粒で正体を知ります。

 くるくると回りながら、様々な角度から陽の光を受けてきらめいていました。


「これ、ガラス……?」


 教会の窓硝子まどがらすが砕けて、雨のように降り注いでいるのです。

 やがて身の毛のよだつ瞬間が過ぎた頃、ミモルは強く自分達を抱え込んでいた力が弱まったのを感じて、素早く体を押しのけました。


「エル、大丈夫っ?」


 色とりどりのステンドグラスが鋭い刃となって、天使の背を何カ所も斬り付けている様を想像し、ぞっとします。

 服が破け、白い肌があらわになり、突き刺さったところから鮮やかな血がにじみ出ているところをです。


「二人とも、大丈夫?」


 ミモルはのどに詰まった息をゆっくりと吐き出しました。彼女は翼を天蓋てんがいのように広げ、凶器の雨を防いでいました。

 天使の羽根は見た目よりずっと丈夫なのです。さっと欠片を払うと、そこには傷一つ付いてはいませんでした。


「翼……」

「あっ、ここ切れてるよ!」


 ティストが目の前の光景に息を呑んでいるのを感じましたが、今は説明している時間がありません。気付いたのは背中から顔へと視線を移した時でした。

 すっと一本の線が引かれたように白い筋がエルネアの右頬に走っており、そこから赤い血がツ……と零れてきていました。


「平気よ、これくらい」

「駄目だよ」


 美しい顔だから、だけではありません。大事な人の顔に、自分をかばって受けた傷跡が残るのは、自分が傷つくよりもずっと辛さを感じます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る