第二部 第一章 未知へのいざない

第1話 穏やかなはじまり①

 今にも動きそうな彫像がありました。


 風になびきそうな髪と、豊かな体にぴったりと張り付く衣服。

 遠くも近くをも捉えた瞳。

 そして、数多の言葉を紡ぎだしそうな形良い唇。


 彫像にもかかわらず、全身から溢れ出る「生」――。


 そんな像に、青年は出会いました。

 わき起こったのは「自分の物にしたい」という気持ちと、それを一切受け付けない像への畏怖いふです。


 崇高すうこうにも似た様々な感情が入り混じり、消え、やがて胸に残ったのは一つの願いだけでした。


 ◇◇◇


 いくつかの季節が巡りました。

 えぐり取られたかのように、空き地と化していた「森だった場所」にも、地をう小さな植物が芽吹き始め、緑の絨毯じゅうたんを作っています。


 そこから南へ下ったところに、小さな家が建っていました。被害を逃れた森の片隅かたすみに、数日という短い間に出来た木造の一軒家です。


「エルネアお姉ちゃん、居るー?」


 そんな家に響き渡るのは、少年の高い声とノックの音です。


「はーい」


 返事と共にドアノブが回り、中から金髪の女性が顔を出しました。白く艶のある肌を白いワンピースで覆ってはいても、洗練された体付きをしているのが分かります。


 そして整った顔に長く流れる髪。男性でなくとも見とれる美貌の持ち主です。その彼女――エルネアがふっと笑いました。


「取りに来てくれたの? ちょっと待っていて、今持ってくるから」


 言って家の奥へと消え、何かを抱えて戻ってきます。少年の前でぱっと広げてみせました。


「わぁ、ありがとう」


 彼の顔にも笑顔が浮かびます。エルネアが差し出したのは、貧しい村の人間には手に入りにくい丈夫で上質な服でした。


 少年は受け取って、頬ずりしたくなるような柔らかい手触りを確かめます。それから、やや不安げな眼差しでズボンのポケットから数枚のコインを出しました。


「ほ、本当にこれだけで良いの?」

「えぇ、十分よ。どうもありがとう」


 綺麗に整えられた指先が触れ、温かさの余韻よいんを残してコインを取ります。その笑顔に彼も安堵し、頭を下げました。


「また来てね」

「うん。ありがとう!」


 去っていく背中が木々に隠れて見えなくなるまで手を振り、エルネアも扉を閉めます。

 玄関を過ぎてすぐのところには台所、反対脇には風呂やお手洗い、奥には左右に分かれて個室がありました。彼女は右側の自室の扉を開きます。


 書棚にベッド、そしてテーブルや椅子が、全て木で作られています。これだけならごく普通の部屋ですが、一つだけ普通と違っているのは、大量に布が散らばっていることです。


「さてと、お掃除しないといけないわね」


 手前から、ピンクや黄色の布地を巻いて整頓せいとんしていきました。それを部屋の一角に立ててまとめ、床に残された端切れを集めて箱に入れます。


 どんなに小さくても無駄なものはありません。節約精神を発揮し、片付けていきます。


「エル、おはよう。入ってもいい?」


 箱の蓋を閉めた時でした。扉の向こうから声が聞こえました。高い、少女の声です。エルネアは嬉しくなる気持ちが胸に芽生えるのを感じながら「どうぞ」と招き入れました。


「おはよう、ミモルちゃん。今、朝食にするわね」


 黒い髪に青い瞳の少女――いつもの服に着替えたミモルは、頷いて微笑みます。次いで部屋を見、「昨日も遅かったんだね」と言いました。


「今、取りに来てくれたところなの」


 他の人間が聞いたら首を傾げるでしょう。部屋は今しがた綺麗に片付いたところだったのです。それなのにミモルはエルネアの苦労を悟り、ねぎらっています。


 自身も夜遅くまで起きていれば別でしょうが、彼女は同年代の少女と同じ時刻に就寝していました。


「やっぱり、ミモルちゃんに隠し事は出来ないわね」

「エルのことなら何でも分かっちゃうよ」


 エルネアがくすくすと笑い、ミモルも同調します。


「ほら、今日の稼ぎよ。これでまた食料を買って、美味しいものを作るわね」


 他に欲しいものはない? と優しく問いかけます。ミモルくらいの年の女の子なら、食べたい物や欲しい物がいっぱいあって当然です。

 豊かさと縁の薄い生活をしていれば、色とりどりの甘い飴玉を夢見るでしょうし、可愛らしい服や唇にさす紅に憧れもするでしょう。


 けれども、ミモルは我侭わがままどころか、一度も何かをねだったことはありませんでした。


「ううん。エルの料理が食べられて、毎日二人で暮らしていければ十分だよ」


 親であれば、良い子だと褒めるところかもしれませんが、エルネアは少し寂しげに「そう」と呟きます。

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