閑話4 雪空のおとしもの(8)

 ――何かが、閃きました。


「……え」


 気の抜けた呟きに、ディーもはっとして立ち上がります。


「雪?」


 いえ、雪ではありません。白くて、もっと柔らかいものです。そっと手を出し出すと、狙い澄ましたようにそれは降りてきました。


「羽根だ……」


 指で摘んで眺めてみます。見とれるほどの、何ものにも染まらない純白の羽根。こんなに美しい翼を持つ鳥は、この森には棲んでいないはずだと木こりは思いました。


『ヴィタさん、ディーさん』

「ヴィーラなの!?」


 今度こそ聞き間違いではありません。はっきりとした声が手にした羽根から聞こえてきます。記憶にあるものと同じで、優しく語りかけるような話し方でした。


「ごめん、ごめんね……。私があんなことしたばっかりに」


 もう何度となく繰り返したであろう謝罪をディーが呟くと、声は「そんなにご自分を責めないで」と言いました。


『ディーさんは何も悪いことなんてしていないのですから』

「したよ! だって、だって」


 ずっと秘密を守っていれば、今でもみんなで楽しく暮らしていられたはずです。あんな恐ろしい事件にう事も、突然の別れも経験せずに済んだでしょう。


『謝らなければならないのは私の方です。私がいたばかりに、お二人を巻き込んでしまいました』


 そのセリフが、まるで出会わなければ良かったと断じているふうに聞こえて、ヴィタは羽根を強く握りしめます。


「何言ってるんだよ。うちにいろって言ったのは俺だ。お前は身勝手な人間の我がままを受け入れて、一緒にいてくれたんじゃないか」


 忽然こつぜんと消えてしまってから、引き留めるべきではなかったのかもしれないと何度思ったか知れません。


「またみんなで暮らそうよ。ヴィーラの持ち物、あのまんまなんだよ、ね?」


 カップを始め、何一つ処分していません。捨てられるわけがありませんでした。ほこりを被らないように綺麗に保ちながら、いつか戻ってくることを信じていました。


『ありがとうございます。そのお気持ちだけで、私は幸せです。……きちんとお別れが出来てよかった』


 言いたいことが山ほどあるように聞こえました。謝罪や説明やお礼といった全てを飲み込んで、泣きそうな顔で笑っているみたいな響きです。


「っ、行かないで!」


 淡い光が力を失うように、羽根から「何か」が消えていくのを感じました。繋がりが薄く細く切れていくのが手のひらから伝わります。


『お二人は私にとって大切な……家族です』


 それを最後に、ヴィーラの声も気配も永遠に途切れました。しばらくは胸が詰まってしまい、呼吸がうまくできませんでした。


 ◇◇◇


「お前は、それで良かったのか?」


 不安げに見上げてくる瞳に、ヴィーラは微笑みかけました。ベッドに横たわっていた少女――ネディエが、海の色をした髪を揺らして起き上がります。

 傍に腰掛けて視線を交わす二人の間には一本の蝋燭の灯りがあるだけで、周囲には闇が広がっていました。


「はい。お二人を助けることが出来たのですから」


 優しげな表情で囁く言葉に、ネディエがゆるゆると首を振って「本当は」と続けました。


「本当はもっと――」


 先を告げようとする唇を、天使が白い指先でそっと触れて制します。


「もうずっと昔のことです」


 目が冴えて眠れないという主のために天使が語って聞かせたのは、まだ幼かった頃の記憶でした。


「……眠りをかえって妨げてしまいましたね」


 少女は首を振り、「お前が」と呟きかけて飲み込みました。

 いつも優しく微笑んで傍らにありつづける彼女が過去を話すのは珍しく、続きを言えばもう二度とこんな機会は得られないように思えました。


「その兄妹とはそれきりなのか?」


 代わりに訊ねた問いに美しい細面は微笑みを濃くし、「信じていますから」と返します。

 ヴィーラは闇へ一瞬視線を移して遠くを見詰める仕草をして、それからおもむろに振り返りました。吹っ切れたような、清々しい表情でした。


《終》


◇後書き

 最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

 兄妹のその後がないのは、あくまでヴィーラが「木こりの少年」の視点で語っているからです。

 一緒に暮らしているうちにヴィタやディー本人が話したことなどを交えて、あとは想像で補っているところもあるかもしれません。そうすると、最後の別れの後の一文は……などと、考えて楽しんで頂けたら嬉しいです。

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