閑話3 鏡の中のともだち・後編

「そっちへ連れて行って」


 仲良くすればするほど鏡という冷たい壁への鬱積うっせきがたまっていったネディエは、知り合ってしばらく経った頃、その願いを口にしました。


 少年は苦笑して、首を横に振ります。その頬に赤くれた箇所を見止めて、はっとして自分の頬に触れます。

 そこには同じものがありました。いけないことをして、母親にはたかれたばかりだったのです。


「僕にはそんな力はないし、たとえこちら側に来られても、そこに僕はいないよ」

「どういう意味?」

「僕はどこまで行っても君でしかないからね」


 幼かった彼女は、答えを貰った気持ちにはなりませんでした。穏やかに笑う友人は、こちらが何か言おうとしたのを遮って続けます。


「君が傷つけば、僕も傷つくし、ね」


 かっと熱くなったのは胸だったのか顔だったのか。とにかく唐突に母親が許せなくなってしまいました。

 悪いことをした自分だけではなく、友達まで傷つけたことに腹が立ったのです。


 ――誰にも手出しさせない。


「やめて! それはいけないものだよ!」


 子どもの中で色濃くなっていく感情を前にして、少年が鏡を叩きました。


「うるさい!」


 ピシッ。音を立てたのは頭の中と外……鏡の端でした。我に返った時にはすでに遅く、彼女は縦に走ったひび割れを目で追いました。

 最後に見えたのは、消えていく友人の暗い眼差しでした。


「君の……が好きだったのに」


 名も知らぬ友達は、そのまま闇に溶けていきました。


 ◇◇◇


「あんなに泣き喚いたのは、結局あの時だけだったか」


 つるりとした表面に、目立つ傷はありません。

 割れてしまった鏡を前にして、わんわん泣いている娘を見付けのは母親でした。砕けた破片を他の者に片付けさせ、涙が止まらない子どもを抱え上げて言います。


『この鏡は、塔の守りの一つ。早く新しいものと取り替えて頂戴』


 まるで頭を殴られたみたいな衝撃を感じたのを覚えています。今度こそ本当に繋がりが途絶えてしまう気がして、やめてと何度叫んだでしょうか。


 しかし、子どもの言うことなど誰が聞き入れるものでもありません。当然、鏡は翌日には取り替えられてしまいました。

 それが今、目の前にある全身鏡であり、ネディエにとっては友人の慰霊碑いれいひでした。


「自分の命と引き替えに、私を止めてくれたのか……?」


 今なら分かります。あれは己が生み出した存在だったのだと。誰にも相手にされないと逃げていた子どもが作り上げた、幻よりは確かな何かだと。

 そこへ、後ろから靴音が響いてきました。この音にも最近聞き慣れてきたところです。


「マスター、こちらにいらしたんですね」

「ヴィーラ」


 鏡越しに見るパートナーはほっとした表情を浮かべていて、「ルシアさんが探しておられましたよ」と言いました。


「あぁ、今行く」


 本質的には、彼もヴィーラも似たものなのかもしれません。けれど、決して同じにはしないと誓ってもいました。布を再びかけ、黙祷もくとうを捧げるように目を閉じて祈ります。


『さようなら。今度こそ、消させたりしないから』


 目を開くと、天使が優しく微笑んでいました。楽しいことでもあったようです。

 その原因に思い当たったネディエは、軽く睨み付けましたが、ゆるむ唇までは抑えることが出来ませんでした。


「人の心の中を勝手に覗くんじゃない」


《終》

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