閑話3 鏡の中のともだち・前編

 ◇第一話終了後のネディエのお話です。


「……懐かしいな」


 巨大な塔の中の、どこまでも続くように思える階段。その踊り場に一枚の鏡がありました。大人でも全身が優に映せる代物です。

 ネディエは久しぶりにその前に立って、かけられていた布を払いました。幼かった頃、彼女はその鏡が好きでした。


 うやうやしく行き過ぎる使用人達や、構ってくれる時間のあまり無かった母親や叔母おばの傍で感じる疎外そがい感も、鏡を通して見れば和らぐ気がしたからです。


 全てが遠く、どこか自分とは関係のない世界の出来事に思えました。

 けれど、ただ覗き込んで奧を眺めるばかりで、湖面のような鏡の表面に触れたことはありませんでした。あの時までは……。


 ◇◇◇


 幼いネディエはその日も、鏡の前でぼんやりと座り込んでいました。長い時間をかけて踏まれ、黒ずんだ床に視線を落とし、目を閉じます。


「……?」


 耳の横を擦り抜けたのは風だったのでしょうか。この塔には様々な工夫がほどこされていて、穴がなくても不思議と息苦しくなることも暗く感じることもありません。


 だから、今回も外から風が吹き込んできたのだと思ったのです。塔はあちこち探検しましたが、きっとまだ知らない場所があるに違いないのだと。


「こっちだよ」


 甲高い子どもの声にびくりと肩が弾み、全身に戦慄せんりつが駆け抜けました。


 ずっと小さかった頃から身を守る術を自ら望んで学んできたネディエは、その頃にはすでに周囲の気配を常に探れる程度にはなっていました。

 今の今まで、誰も近くにはいなかったはずです。


「だれだ……?」


 絞り出すように尋ね、思いきって振り返りました。――誰もいません。


「こっちだよ」


 その瞬間、目が一点に釘付けになりました。鏡の中で、自分とよく似た少年が微笑んでいたのです。


「僕は君だよ」

「ちがう。わたしは……わたしだ」


 彼は何なのでしょう? 自分よりも明るい髪と瞳、余裕のある口振り。けれど、外見はまさしく合わせ鏡のように似ていて、まるで双子の兄弟に出会ったみたいでした。


「僕と君とは同じものだよ」


 にっこりと少年が笑います。その笑顔を見ていたら、不思議と一人で腹を立てているのが恥ずかしくなってきました。ネディエもまだ幼かったのです。


「友達になろうよ」

「えっ」

「嫌?」


 鏡の中からこちらに手を伸ばしている彼が「ね?」と念を押してきます。少女は首を千切れそうな勢いで振りました。

 友達。居場所のない想いをしていた彼女の初めての友達は、鏡の中の少年だったのです。


 それからは、前にも増して足繁あししげく鏡の元へ通いました。少年は鏡の中に住んでいて、こちら側には来られないようだったからです。

 塔にはいくつも鏡がありましたが、他の誰にも邪魔をされず、且つお互いの姿が大きく映るのはこの一枚しかありませんでした。


 勉強や稽古けいこごとの合間をい、来ては座り込んでたわいない話をしたり、壁越しでも出来る遊びをしたり。

 彼は、他の誰かみたいに無表情で通り過ぎたりしません。与えてくれる充足感は、一人ぼっちでは決して味わえない感覚でした。

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