閑話Ⅰ

閑話1 旅のヒトコマ

「……う、ん……」

「おはよう、よく眠れた?」

「おはよぅ。うん、よく寝たよ」


 カーテンの隙間すきまから差し込む陽射しをさえぎって、エルネアが顔を覗き込んできます。ようやく慣れてきた朝の習慣です。

 綺麗きれいに整えられた金の髪が、日の光に透けてきらきら光っています。ミモルはそれを眺めると心が落ち着きました。


「えぇと……」


 むっくりと起き上がって、寝ぼけ眼をこすります。ぼやけた視界に入ってくるのは、知らないベッドと簡易なテーブル、着替えや荷物を置く木の棚。

 ここが昨日到着したばかりの町の宿屋で、自分が旅の空の下にいるのだということを頭に叩き込みました。


 ずっと定住生活を送っていたため、旅を始めたばかりの頃は毎朝混乱したものでしたが、今ではなんとか受け止められるようになりました。


「カーテン開けるわね」


 エルネアがベッドからおりて窓にかけられた厚い布を開きます。一筋だった光が部屋一杯に満ちて眩しく感じました。


 白いネグリジェをまとい、「今日も良い天気ね」と言って笑う様に思わず見とれてしまいました。男の人なら一瞬で恋に落ちるかもしれない笑顔です。


「どうしたの? まだ目が覚めない?」

「ううん。エルが今日も綺麗でうらやましいなって思っただけ」


 なんだか口説き文句のようですが、素直にそう思いました。すると、彼女も笑って「あら、ミモルちゃんも可愛いわよ」と応えます。


「えぇ? 私なんて全然だめだよ」


 顔が赤くなるのが感じられます。自分はただの田舎娘です。色々な町や村を回ってみて、そのことがよく分かりました。


 お洒落なんて無縁ですし、とても自分を可愛いとは思えません。何より、言っている張本人が誰もが振り向く美人では、自信を持てという方が無理な話です。


 それでも、エルネアがそう思ってくれているのは事実のようです。天使は嘘をつかないからです。


「はい、じゃあ今日はこれを着てね」

「えっ、また作ったの?」


 差し出された服を見て、少女は叫びにも似た声を上げました。

 ミモルの服は、白い上着にスカートというのが基本なのですが、その厚手の上着の中には結構なバリエーションの服を着ていました。


 フリルが付いた可愛らしいものもあれば、スタイリッシュな一品もあり、たまにワンピースだったりもします。エルネアが服を作ってくれるからです。


「今回はリボンに力を入れてみたの。きっと似合うわ!」


 畳まれたそれを広げてみると、言葉通り胸元にピンクのリボンがあしらわれ、腰にもリボンが付けられている。袖にもです。


「す、すごい」


 手触りも良く、市場へ出しても高値で売れそうな服でした。

 いつも一緒に行動しているはずなのに、材料はどうやって手に入れ、いつ作っているのでしょう。そして材料費は? など、いつも疑問には思っているものの、実はまだ聞けないでいました。


 何度か着たものは姿を消しているので、古着としてお金に変えているのでしょう。ミモルはそれをまじまじと見つめながら言いました。


「なんだか私には勿体無いな」


 何を着ても、エルネアは可愛いと褒めてくれます。でも、やはり自分には過ぎたものだと思ってしまうのです。

 こうして眺めていると、そもそも彼女の存在自体が自分には過ぎているのではないか、そんな気さえしてきました。


「えぇ? そんなこと全然ないのに」


 言いながら、エルネアは一度差し出した服を胸元へ引き寄せます。


「じゃあ他の服にする?」


 顔を見て、はっとしました。一瞬、確かに青い瞳には悲しみが浮かんでいました。それと、怒りでしょうか。少女へではなく、自身へ向けた怒りです。


「エル……?」

「だったら、この服は売ってお金に変えましょうね。ミモルちゃんが褒めてくれたんだもの。きっと高く売れるわ」


 もう笑っています。さっきの表情が嘘みたいでした。

 ミモルは旅の途中で彼女が言ったことを思い出していました。天使にとっての存在意義とは、主の役に立ち、主を守り、幸せにすることなのだと。


 その言葉通り、エルネアは自分に尽くしてくれています。その考えからすれば、申し訳ないと口にすること自体が、エルネアにとっては失態なのかもしれません。


「今、他のを用意するから、ちょっと待っていてね」


 ふいに、天使は存在する意味を失ったらどうなるのだろうという考えが脳裏をかすめて、ひどく恐ろしくなりました。


 すり抜けていく手を寸でのところで掴むと、驚いた彼女がこちらを見つめてきます。キョトンとしているのが余計に怖く、何かがとても危うい気がします。


「ごめん! 失礼なことを言っちゃったよね。せっかくエルが私のために作ってくれたのに、いらないなんて」

「どうしたの? ミモルちゃんは『勿体ない』って褒めてくれたんでしょう、嬉しかったのよ?」


 どう考えてもそんなことを思っているふうには見えませんでした。


「嘘だよ。心の中では残念だなとか、他の人に着てもらっても全然嬉しくないとか思ってるんでしょ?」


 常に開いている彼女の心が、今は隠れて見えません。知られたくないことを考えているからです。

 自分だって、ひとが知られたくないことを無理に知ろうとは思いません。けれど、今は知らなければならないと思いました。


「……いいのよ」

「それって、『私は傷ついてもいいのよ』って聞こえるよ」

「そんなこと」


 お互いを思いやっているはずなのに、どうしてこうなるのでしょう。もうこれ以上押し問答をしても意味がない気がしました。


「ほら、着るから。ちょうだい」


 返事を待たず、寝巻きをさっさと脱いで、エルネアが抱えた服をひったくるように取りました。

 上からすっぽりと被るだけで着られるから簡単です。それから赤いスカートを穿きました。


「どう? 似合う?」

「え、えぇ。とっても……」


 呆気に取られているエルネアの前でくるりと回ってみせます。腰のリボンがひらひらと動いて可愛らしいです。

 着れば、これは本当に自分のための服なのだと実感できました。サイズが、自分の体に吸い付くようにピッタリだからです。


「エルの作ってくれる服、どれも好きだよ。だから、もっと着たいって……我侭わがまま言ってもいい?」

「……もちろん」


 やっと安堵が戻って、こちらも内心ほっとしました。


「これ、上着を着ちゃったらヒラヒラ出来ないね。つまんないよ」

「あら、駄目よ。風邪を引いちゃうじゃない」


 言いながら、上着を丁寧に着せてきます。


「じゃあどうしてリボンを付けたの?」

「……内緒」


 冗談半分にくすくすと笑います。彼女にとって、私に自分が作った服を着せるのは一種の我侭なのかもしれないと気付きました。本人は決して語らない、心の奥底での楽しみなのだと。


 これは、今まで頼ってばかりだと思っていたエルネアへの恩返しのチャンスです。彼女が笑ってくれるなら、いくらだって服を着よう――そう思い、今日も旅支度を整えて宿を出たのでした。


 《終》

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