最終話 二人のはて

「あなたなら助けられるでしょう」

『ネイス!』


 驚きが重なります。ぼうっと浮かび上がるようにして立っていたのは、聖域の主を務める少年でした。その姿は輪郭りんかくが危うく、幻であることを物語っています。


「やっと声を送ることが出来ましたが、事は終わってしまったようですね」

「あの二人がどうなったのか、あなたには分かる?」


 彼は首を振り、それより、と言いました。


「彼女を助けることが先決です。今のあなたなら、彼女をむしばんでいる力の奔流ほんりゅうを受け止められるはず」

「私が?」


 ミモルが戸惑っていると、しっかりと肩を掴み、エルネアが深く頷いてみせました。


「……分かった」


 迷っている暇はありません。立ち上がり、姉に近寄って手を取りました。冷たいのにじっとりと汗をかいています。熱にうかされて消耗した病人のようです。


「待ってて、今助けるから」


 息を吸い込むイメージで、繋いだ手からダリアの抱え込んでいるものを受け取っていきました。重い、なまりを吞み込むみたいな感覚がじわじわと全身に広がっていきます。


 体が怠くなり、前へ倒れ込みそうになります。それでも踏ん張って、ミモルは受け入れ続けました。


「大丈夫。私がついているわ」


 声が聞こえ、苦しみが和らぎます。暗いよどみを半分引き受けてくれているのでしょう。


「……っ」


 ダリアの吐き出した息で我に返りました。青白かった顔に生気が戻り、かさついていた唇にも潤いが見られます。

 やがて、ゆっくりと目蓋が開かれ、長い睫毛まつげの間から紫の瞳が現れました。


「ダリア、大丈夫?」


 涙はやはり我慢が出来ませんでした。抱きつきたい衝動を押さえ込み、声を震わせながら問いかけます。

 姉の目がしっかりと妹を捉えます。口が開き、そこから再開の喜びが溢れるのを誰もが期待した瞬間。


「……誰?」


 さぁっと全身の血の気が引きました。「冗談言わないで」などというセリフすら出てきません。ダリアの様子、その瞳から嘘を言ってはいないことが分かってしまったのです。


「精神が限界だったのでしょう」


 冷静に言うネイスは、ある程度予測していた口振りでした。


「心が全て食い荒らされていなかったのが不幸中の幸いです」

「食い荒らされていたら、どうなってたの?」


 あまりの衝撃に、心が硬化するような気がしました。そうしなければ底なしの穴へ突き落とされてしまいそうです。


「廃人です。誰も分からず、何も感じず、喋るどころか思考さえもない。生きた人形です」


 そんな状態は「生きている」とは言えません。状況が理解できずキョトンとしているダリアを、ミモルは先程とは違った理由でしっかりと抱きしめました。


「何? どうしたの? ねぇ、ここ、どこ?」

「心が耐えきれず、記憶を封じ込めてしまったのね」

「……戻るの?」


 えぇ、とエルネアが頷きます。


「いつか、きっと思い出すわ。あなたのことも、あなた達のお母さんのことも」

「……良かった」


 命は助けられました。望みもあります。それだけで十分だと思うことにしました。


 嗚咽おえつらすミモルを見ても、ダリアはまっさらな赤ん坊のような瞳で眺めているだけです。やがて、泣きやんだ少女が笑顔を作って言いました。


「あなたの名前はダリア。私がミモルで、こっちがエルネア。あなたの家族だよ」

「かぞく?」


 深く頷きます。


「ネイス、わざわざ来てくれたのはこのためなんでしょ?」


 ミモルはここにきてネイスの訪問の意を汲み取りました。彼のことです、マカラのことのみでわざわざ異なる世界にまで声を寄越したわけではないはずです。


「彼女は聖域で預かります。残った汚れも、こちらで暮らせば浄化出来るでしょう」


 それは悪魔の残り香のようなものでした。ダリアを蝕んでいたほとんどの力はミモルが受け止めたものの、完全に消え失せたわけではありません。


「……」


 旅の終わりはただ一つ。ダリアを救出し、三人で故郷に帰ることです。しかし、そうは出来ないことを、ミモル自身がよく承知していました。


「彼女が望むなら、良い聖女になるでしょう」


 母親の面影がよぎり、はっとしました。


「いつか、帰ってくるんだよね。みんな思い出して、私達のところに」

「約束します」

「……お願いします」


 幼子のようなダリアに「これから遠いところに行くんだよ」と告げ、ネイスの手を握らせます。あとはミモルが精霊の力を借りて送り届けました。


「私を産んだお母さんも、こんなふうにルアナさんに私を預けたのかな」


 有無を言わさぬ理由に押されて、子どもを信用の置ける人に手渡す。顔も覚えていない生母の涙が見えた気がしました。


「偉かったわ。立派だった」


 ミモルはこの旅で得たパートナーの腕の中で、声を押し殺して泣きました。



 心身共に疲れ切った二人は翌日、宿を引き払って元来た道を戻り始めました。行きの時とは違う、急ぐ理由のない旅です。

 町に着いてはのんびりと観光を楽しみ、街道を行けば道行く人と笑顔や会話を交わしました。


 ハエルアに寄った際には、ネディエとヴィーラに事の顛末てんまつを話して聞かせました。彼女達には聞く権利があったからです。

 ヴィーラの深く沈んだ記憶は、この話でもよみがえることはありませんでした。それだけ強固な封印が施されているのでしょう。


「この街に住まないか?」


 そんな誘いをかけてくれる友人に、ミモルは笑って礼を言いました。


「ありがとう。でも、大事な人の傍に居たいから」

「……そうか」


 ◇◇◇


「何もないね」

「えぇ、何もないわね」


 感傷も、感慨深さもありません。目の前にはぽっかりと開けた空間があるだけでした。

 左右には遠巻きに木々が並んでいます。旅の間に森が体裁ていさいでも整えたみたいです。


 生まれ育った家にも言ってみましたが、何かにえぐり取られたみたいに欠けてしまっています。埃っぽくて人気のない廃屋はいおくと化していました。


「これじゃあ、住めないわね」

「エル、本当に私と一緒に居てくれるの?」


 顔を見ようともせず、隣に立つパートナーに問いかけます。


「見ての通り、何もないんだよ。家もないし、お金も尽きちゃったし、家族も居ない。それでも良いの?」


 頷くのが空気の揺らぎで分かりました。


「家はまた建てればいいわ。お金は稼げばいいし、家族なら、私がいるじゃない。あなたが言ったのよ。ダリアに私達は『家族だ』って」


 もちろん、リーセンも、と付け加えて笑います。ミモルに中で力と共に目覚めたもう一人の自分も、今では心の一部としてしっくりと馴染なじんでいます。


「……うん」

「さぁ、家長さん。まずは何から取りかかりましょうか?」


 悪戯いたずらっぽくエルネアがウィンクしてみせます。ミモルもようやく口元をほころばせました。


「それは決まってるよ。もちろん最初は――」


 ◇◇◇


「次はどこに行こうか」

「これから寒くなりますから、南に行くのはいかがでしょうか」


 青年の問いに、女性が微笑んで南を指し示します。続く道の向こうには真っ青な空が広がっています。


「あの……」

「ん?」

「こうしてあなたともう一度歩けるなんて、思いませんでしたわ」

「ごめんね。長い間、待たせたね」


 音がしそうな程、彼は彼女を抱きしめました。深い紫の髪が揺れます。


「前は寂しい時、よくこうしてくれたね」


 くぐもった声も懐かしく、女性は涙をこぼし、今までのあらゆる感情を押し流そうと、しばらくしがみ付いていました。彼はその頭をくしゃりと撫でます。


「あの子達は大丈夫だろうか」


 思いをせるのは、自分達の行いの犠牲にしてしまった少女らのことです。


「……。また、新しい本をお探し致しますね」


 ぎっしりと中身が詰まった本棚。収めきれずに積み上げられた書物の数々。ミモルに見せたあの家は、すでにこの世にはありません。


「勿体無いことをしたな」

「あなたは全てをお読みでした。それなら、惜しむことはありませんわ」

「そうだね」


 空はいよいよ青く、どこまでも澄み渡っていました。



 《第一話・終わり》


◇最後までお付き合い下さり、ありがとうございます。

 第一話はここで終わりです。

 今後は閑話を幾つか挟み、第二話に突入していく予定です。

 また長いお話になりますが、平和な日常を取り戻したミモル達がどうなっていくか、読んで頂けたら幸いです。

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