第36話 とらわれの真実②

 彼は何か言いかけて再び苦笑いし、一言だけ呟きました。


「僕はね、マカラが部屋の扉を叩いてくれるまで、ずっと一人ぼっちだったんだよ」


 眼鏡の奥にどんな感情が浮かんだのかまでは、見ることが出来ませんでした。すっと木を見上げます。


「マカラ、やっとここまで来たよ。今助けるからね」


 表情はむしろ柔らかなものに戻り、これからの行いなど些細なことだといわんばかりです。


「あれが本当のマカラってどういうこと?」

「今まで相手をしていたのは、マカラの精神が形作ったものに過ぎない。あそこに眠っているのが本体なんだ」


 ずず、と何かを引きずるような音がして、ミモルは反射的に後ろに飛びのきます。蔦が動き始めていました。木に更にきつく巻きつき、締め付けていくようです。


「マカラが見えなくなっちゃう!」


 これまでも血の気のない白い細面がちらりと覗くだけでしたが、更に奥へ取り込まれていきます。うぞうぞと動き、心なしか太さを増していく気がします。


「蔦が命を吸い取っているんだわ。木からも、マカラからも」

「させない」


 青ざめるエルネアの前にニズムが歩み出て、右手を差し出し、懐から取り出したナイフで軽く切り付けた。ぱぱっと鮮血が飛び散ります。


 途端とたん、のた打ち回る怪我人のように蔦が暴れ、血が付いたところから腐って数本が落ちました。本体も耐え切れずにそれ以上取り込もうとするのをやめます。


「ニズム、大丈夫!?」


 じくじくと痛むのを堪え、笑顔を作って頷きます。真新しい傷口は簡単には塞がりません。後から後から赤い液体が滲み出てきます。


「マカラの苦しみに比べたら、こんなの、どうってことないよ」

「『マカラの苦しみ』?」


 眠ったように沈黙している彼女からは痛みも苦しみも伝わってきません。木と同様に中身の無い空洞のようです。エルネアが言いました。


「もしかして蔦が、命だけじゃなくて記憶や感情も吸い取っているというの?」


 ニズムは肩をすくめました。


「蔦が神々に作られたもので、これが罰なのだとしたら、辻褄つじつまがあうからね」

「そんなむごい仕打ちをあの方々がなさるはずがないわ!」


 では他にどんな推測をしてみせてくれるのか、と彼の目は問いかけます。


「こんなに長い間保っていてくれたのは嬉しいけど、その間ずっとマカラは苦しんでいたことになる。心の中から悪魔を産み落とすほどにね」

「……」


 絶句して、二人は青年の背中を見つめました。彼は白い服に鮮やかな赤い斑点を付けながら、両手を差し出します。蔦がまたうごめき始めました。


「行くよ」


 嫌がる蔦の表面に彼はそっと手を触れ、目を閉じます。次の瞬間、凄まじい勢いで炎が吹き上がり、ニズムもろとも全てを包みました。

 ミモルは彼の名を叫んで助け出そうとしましたが、エルネアが抱えるようにして止めました。


「意識を集中して!」


 パートナーの声が届くと同時に、耳の奧でぷつりと音がしました。


 ――やっと、一つ。誰かが耳元でささやきました。



「二人はどうなっちゃったんだろう」


 あの後、いくら待ってもニズム達は戻ってくることはありませんでした。

 エルネアの機転で二人は元の世界、つまり地上に帰ってきました。ニズムが起こした爆風にはじき飛ばされるようにして、宿の一室に倒れ込んだのです。


 窓からはすでに朝日が差し込んできており、運ばれた食事もすっかり冷めてしまっていました。


『途方に暮れてる場合じゃないでしょ』

「リーセン? 良かった。まだ居てくれたんだ」

『当たり前でしょ。まったく。あんなところじゃ話も出来やしない』


 投げやりに言っていますが、精神だけの存在であるリーセンにも、あの世界は辛かったのでしょう。声から疲労が伝わってきます。


「リーセンの言う通りよ。呆けてなんていられないわ」


 エルネアも切迫した雰囲気で見つめてきます。目の前に横たわるダリアの状況は何一つ変わってはいないのですから。

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