第六章 異なるせかい

第25話 聖域のあるじ①

 少女は悲しみを振り払うように呟きました。


「聖域には季節がないのかな」


 季節にはそれぞれの香りがあります。ここにはそれがなく、少女はこの世界に踏み入って初めて嗅いだ匂いに戸惑い続けていました。


「ここは我らが神の加護によって、活力に溢れた世界なのです」

「活力……。エルが住んでいたところも、こんな世界ところ?」


 ふと、天について具体的に尋ねたことがなかったことを思い出しました。魂のかえるところであり、人間には立ち入れない領域とはどんなところなのか……。


「もっと、穏やかなところよ。たとえるなら、どこまでも続く草原かしら。ここは綺麗だけど、あの方々が好む空間とは少し違う気がするわね」

「それは当然よ。管理を任されているのはネイス様ですもの」


 森の木々に木霊こだまする女性の声に足が止まります。すると次の瞬間、気配がネイスのすぐ後ろに現れました。


「コカレ。お客様を驚かしてはいけませんよ」

「あぁ、ごめんなさい。お客様だって知らなかったの。お許しくださいませ?」


 射るような視線でした。コカレと呼ばれた女性は、絡みつくような目でこちらを見遣りました。まるで信用ならないと言っているような口振りです。

 ミモルがその敵意に身を竦ませ、咄嗟にエルネアも前に出ます。二人の睨み合いは長い間続くかと思われました。


「すみません、彼女は私の身の回りの世話をしてくれているコカレです。気分を悪くしないで下さい」


 ネイスはさっと制し、自分以外には誰が相手でもこんな態度なのだと説明しました。こちらの常識が通用しそうにないことは確かなようです。


 そのまま再び歩み出すと、やがて木々の密集の度合いが低くなり、視界が開けてきました。地面も本来の色を見せ始め、歩くたびに土特有の音を立てます。


 そこは森に囲まれた大きな空間でした。太い木で作られた家らしき建物が並ぶ、小さな集落です。


「あ……」


 一瞬、ミモルは鼻につんとした痛みを感じました。かつて住んでいた家の傍にあった村を髣髴ほうふつとさせるおもむきがあったからです。

 懐かしさと同時に、忘れてしまいたい惨劇もよみがえりそうになり、のどを詰まらせました。


「大丈夫?」

「へ、平気だよ。それより、ここって村なの?」

「はい。聖域でひとが住んでいるのはここだけになりです」


 家の一つひとつは地上にあるものと大差なく、壁は新品のように輝いて美しいのですが、不思議と新しい家という印象は受けませんでした。

 活力を失わない木に人々の生活の匂いが染み付いて、こんな奇妙な現象を起こしているのでしょう。


「ここだけ?」

「聖女とはまれな存在。大事な役目を担う彼女達は、決して数多くはないのです」


 そんな聖女の元で、どうして私は育ったんだろう。顔も覚えていない血の繋がった両親と、ルアナさんはどんな間柄だったのかな。


 いつか聞こうと思っていたその疑問も、両親を探し出して訊ねる他は知る術がなくなってしまいました。今は考えても仕方ないことだと、ミモルは頭を振って意識の外へ追いやります。


 通りに人気はありません。


「どうして、誰もいないの?」

「今は祈りの時間ですから。皆、家にこもって神々に祈りを捧げています」

「そうなんだ……」


 少女は肩を落としました。どんなに過去から目を背けても、亡きルアナを知る者と話を交わせるのではと、心の隅で密かに期待していたからです。

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