第24話 ひらいた扉②

「腕を伸ばして。……飛べるわ」


 言われる前に、指先は光に呑まれていました。

 目蓋まぶたを焼く凄まじい光ではありません。それどころか、眩しいと感じる間もなく二人は「そこ」を抜け、向こう側へと降り立っていました。


 まるで、一歩踏み出しただけかのようです。何故か足元が急に柔らかくなり、良い匂いが鼻を掠めました。


「目を開けても大丈夫よ」


 いつの間にか強く握り締めていた手がするりと離れ、いつものように肩に触れます。つられて目を開きました。


「わ……!」


 飛び込んできたのは色、色、色。赤や黄や緑がどれも鮮やかに輝いています。それが草花だと理解するより早く感じたのは、既視感でした。


「この景色、さっき見たのと同じ!」

「本当?」


 間違えようがありません。つい先ほど見たばかりなのですから。


「生えてる木も草も花も、みんな元気だよね。私、森で育ったから分かるの。ここの植物、季節がめちゃくちゃだよ」


 地面が柔らかいのも、瑞々みずみずしさを蓄えた背の低い植物達が、絨毯じゅうたんのように敷き詰められているためです。

 本当なら楽園のような光景に目を奪われるのでしょうが、本物の自然の中で暮らしてきたミモルの目には奇異に映りました。


「ねぇ、ここが聖域なの?」

「そうですよ」


 応えたのがエルネアでないことにぎくりとします。いえ、誰かが近づいてきたにも関わらず、天使が警告を発さなかったことに対する反応かもしれません。


『今の今まで気配がなかった。警告しなかったんじゃなくて、出来なかったみたいね』


 少女の思考に、もう一人の自分が横槍よこやりを入れてきます。エルネアが彼女を守るように後ろへ下がらせ、「誰?」と鋭く言葉を投げました。

 弱い風で草花が揺れ、森がさわさわと音を立てます。そんな中だからか、相手の足音は一つも聞こえてきませんでした。


「待っていました。聖女の導きを得たお客人を」


 人の形をした黒い影が、明るみに姿を現します。おぼろげだった輪郭りんかくが色を帯びました。――ミモルとそう歳の変わらない少年でした。

 さっぱりとした短い髪に動きやすそうな軽装からは、言葉遣いとは裏腹に活発さを感じさせます。彼は優しく微笑みかけてきました。


「そう警戒しないで下さい。私はこの聖域の管理を任されている者です。久しぶりですね、エルネア」

「私を知っているの? ……ごめんなさい。どこかで会ったかしら?」


 親しげに話しかけるも、エルネアに動揺した瞳で返されてしまい、残念そうに「そうでしたね」と呟きます。


「仕方のないことです」


 一瞬目を伏せ、それからすぐに口元に笑みを戻らせます。ミモルには、それが悲しみを押し殺しているように見えました。


「私はネイス。先程も言いましたが、聖域の管理者です。そちらのお嬢さんは?」

「お嬢さん、って私? えと、ミモル、です」


 上品な物言いに慣れず、おずおずと名を答えると、ネイスは浮かべていた微笑みを濃くしました。

 少なくとも、ただの子どもではないことが伺えます。管理者ならきっと「聖域の主」を知っているでしょうし、会わせてくれるかもしれません。


「あの、お願いが……」

「こんなところではなんですから、こちらへどうぞ。お客様をお持て成しするのが私の役目ですので」


 ミモル達は目を合わせて頷き合い、木々の匂い立つ中、彼の先導で歩きだしました。

 その背を追っていると、別の影がだぶって見えます。状況があの出来事と良く似ていたからです。


 探していたひととは会えたのかな。


 悪魔から救ってくれた少年・ニズム。彼もまた、森の中を先導して家へ招いてくれました。

 あれがただの夢などではないことは明らかだったけれど、少年が何者で、どうして助けてくれたのかは分からないままです。


 ミモルはニズムが見せた切なそうな表情を思い出すたび、その切なる望みが叶うようにと祈るのでした。

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