第五章 空と海と

第20話 光のひと①

「な……何あれ!?」


 その先は唇からすべり落ちてしまいました。興奮からバランスを崩し、慌ててエルネアの肩にしがみつきます。それでも目を離すことはできませんでした。


「びっくりした?」

「……建物が浮いてる!」


 ひどく断片的な表現でしたが、まさしくその通りだったのです。水平線の上、家ひとつ分程度の高さのところに、ぽっかりとそれは現れました。


 水の色を含む、透き通った細長い建物。まるでガラスかクリスタルで出来ているかのようです。それは日を浴びてきらきらと輝き、同時に向こう側をも見せていました。


「みんなびっくりしそうだね」

「普通の人には見えないはずよ」


 エルネアは軽く羽ばたき、高度を上げました。どんどん建物が近づいてきます。

 入り口を確認出来る距離まで来たところで、想像より小ぢんまりとした建造物だと気がつきました。


「私の家より少し大きいくらいだね」

「さ、入りましょう」


 入り口も青く澄んだ海色をしていて、建物はたくさんの柱が集まって出来ているようでした。


「勝手に入っていいの?」

「大丈夫よ」


 エルネアは笑って、柱の間を抜けるように城へ滑り入ります。一瞬の浮遊感の後、足を地面に付けると、ミモルは少しよろけてしまいました。


「疲れたみたいね」

「ううん。エルの方が疲れたでしょ」


 二人の会話も靴音も、クリスタルの壁に幾重いくえにもこだまします。

 あんなに日を取り入れてはさぞ眩しく暑いだろうと思っていましたが、ちょうど良い明るさで、むしろひんやりと涼しいくらいでした。


「ねぇ、ここは何なの?」


 我慢できず、うろうろと眺めまわりながらエルネアに問いかけます。ですが、その応えは後ろにいる彼女からではなく、何故か前方から届けられました。


『私の城へようこそ……』

「誰?」


 洞窟を抜ける風がちょうどこんな感じでしょうか。肩が飛び上がるほど驚いたミモルは、咄嗟とっさにそう思いながら問いかけます。

 これまでの旅路で不思議な現象には慣れてしまったからか、びっくりはしたものの恐れは抱きませんでした。


「あなたの家で少し休ませて貰ってもいいかしら?」


 奥へ向かって、エルネアが問いかけます。その振る舞いによどみはありません。まるで旧友の家に立ち寄った時のようです。


『代わりに私の願いを聞いて下さるなら』


 建物と同じく透き通った高い声です。降り注ぐ神秘のように感じられ、ミモルはようやく一つの結論に至りました。


「……もしかして、ここって」

「えぇ、精霊のよ」


 精霊が建物を拠点きょてんにしているなどということが、ありえるのでしょうか?

 水も風も、精霊は自然そのものでした。この城に住まう精霊には、何故こんな「入れ物」が必要なのか……。


 ミモルが首を傾げていると、エルネアは先に歩き出してしまい、慌てて追いかけることになりました。

 奥といっても深いわけではありません。最初の部屋から進み、通路らしき部分を抜ければ、再び広い場所――次の部屋に出ました。


「あれ、誰もいないよ?」


 中央に太いクリスタルの柱がそびえ立つ以外は、がらんとした何もない空間で、精霊の姿はどこにも見当たりません。

 少女が目を彷徨さまよわせていると、その様子が面白かったのか、笑い声が聞こえてきました。


『ふふっ、私はここよ』

「……あっ」


 呼びかけられ、ミモルは自分が見当違いの方向を眺めていたことに気が付きます。振り返ってみれば、最初に目に入ってきた柱の中に「彼女」はいました。


 エルネアより淡い金髪です。柔らかく広がろうとするそれを首の後ろで束ねていました。ゆったりとした服を腰の帯で引き締め、下はその布が長くのびて足を隠しています。


『ここを訪れる者も、いつ振りになるかしら』


 柔和な目元でこちらを見下ろした女性が、ゆっくりと口を開くのを見ました。

 こうして動くところを目の当たりにしなければ、クリスタルに掘り込まれた緻密ちみつな彫像だと信じてしまうに違いありません。

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