第19話 こころの封印①

「ここ、夢の中だ」


 ミモルは言いました。何度も訪れた気がする白い空間には、自分以外に誰もいません。ただ、振り返ればうっすらと影が伸びています。

 ふと、そんな何もない世界に、背を向けて立っている誰かを見付けました。流れる金髪、普段は隠している真っ白い翼。間違えようもありません。


「エル、来てくれたの?」


 天使と主はつながっています。夢の中へ探しに来ることだって可能なはずです。だから、嬉しくて名を呼びました。


「……」


 けれど、いつも優しい女性の耳には届いていないようです。じっと向こうばかり見詰めて、振り向いてくれません。


「エル、私はここだよ。どうしたの? なんで応えてくれないの?」

「……」


 らちがあかないと走り出しますが、どんなに歩みを進めても、何故か距離が縮まりません。影が虚しく後ろで踊るだけでしだ。


「はぁはぁ」


 汗が顔の横を伝って落ち、白い地面に吸い込まれて消えました。初めから何もなかったかのように……。


「これは夢なんだよね。じゃあ、あのエルも夢?」

『ちょっと違うんじゃない?』


 生まれた疑問に応えたのはリーセンでした。


「そうだよね。私も、あそこにエルがいるって感じるもん」


 どこにいてもお互いがわかる。夢の中では、特にその意味を実感します。説明のしようがないほど、確実に彼女の存在を感じるのです。


「じゃあ、なんで辿り着けないんだろう」


 その時、エルネアの更に向こうに人影が見えました。いつからそこに居たのでしょう。その人影も、こちらには背中を見せています。

 幼い、ミモルと同じくらいの少女に見えました。


「あの子……」


 短いツインテール。濃い紫のそれが揺れたと思ったら、振り向いていました。


「●●●」


 大きな瞳を嬉しそうに細めて、高い声が響きましたが、何と言ったのかは聞こえませんでした。

 ただ、夢だからなのか、それともエルネアを捉えて言ったからなのか、ミモルには少女が名前を呼んだのだと分かりました。


「あの子、知ってる。見たことある」


 聞きたくて、今まで聞けなかったことが胸にあふれます。ウォーティアと契約した時に見た水の記憶の中で、ミモルはあの少女と会っていました。


「エルのそばにいた子だ」


 悪魔とまみえ、エルネアと戦っていた少女。それが自分の夢に現れたことにはどんな理由があるのか。深く考える間もなく、エルネアが動きました。


「……チェク」


 懐かしい人を呼ぶような響きでした。それは再会を喜ぶというより、悲しみに耐えているみたいに感じられます。

 聞いているこちらの胸が締め付けられます。少女――チェクが誰で、エルネアにとってどんな存在なのか、気になるのに確かめるすべはありません。


「泣いてるの?」


 それまで全く反応を示さなかったエルネアが、初めて気が付き振り返りました。

 透明な雫が数滴すうてき散りましたた。それらは、地面には吸い込まれずに、結晶になって固い音を立てました。


「……ミモルちゃん」


 締め付けられているのは、自分の心ではありません。こんなにお互いの気持ちが呼応するのは、夢だからでしょう。


「起きよう。ね?」


 ミモルは手を差し出しました。何度差し伸べて貰ったか知れない手を、今度は自ら伸ばして掴みます。

 ここは夢でした。天使が見ている夢の中だったのです。

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