第18話 さばくの変容①

「エルっ!」


 細身が盛大に蹴り上げられました。そのまま金髪を振り乱して横へ転がるのと、悪魔が空へ飛び上がるのとはほぼ同時でした。


興醒きょうざめ。今日のところは引いてあげる。じゃあね」

「待って、ダリアを返してっ!」


 羽ばたきから生まれる風が声をき消そうとします。それでも捕まえたくて、ミモルは手を伸ばしました。


『力を貸そう』


 耳にそよいだのは誰の声だったのでしょうか。疑問より前に体が動いて、手に集まってきたそれを相手へ放ちました。


「なっ」


 一筋の風が、槍となって漆黒の翼の片方を貫きます。ぽっかりと握りこぶし大の穴が開き、空気をはらむ力を失った影が悲鳴と共に崖下へと落ちていきました。


『ちょっと、やり過ぎたんじゃない? あいつ、ただじゃ済まないわよ』


 驚いているのはもう一人の自分も同じらしく、焦った声が頭に響きます。


「そんな……」


 ミモルは手のひらをじっと見つめたあと、襲ってきた震えに耐えかねて自分を抱きしめました。

 ただ、ダリアの居場所を教えて欲しくて必死だっただけなのに、こんなことになるなんて。疑問や後悔、不安などの様々な感情が一気に押し寄せて、目に涙がにじみましだ。


『助けたいか』

「……ウォーティア?」


 予想もしていなかった声に顔を上げると、空中に透けた体の女性――水の精霊・ウォーティアが現れ、問いかける瞳をこちらへと向けていました。


「どうして、ここに?」

『望まれたからだ。お前はどうしたい』


 先ほどのセリフが頭の中で繰り返されます。『力を貸そう』と言ったあれは風の精霊の声だったのかと、ミモルは今更ながらに思いました。


 気配を感じて振り向けば、少年がこちらをじっと見詰めています。精霊とは力そのもの。その事実を少女は肌で感じ取りました。

 彼らは契約した相手の要請に応えて助力はしてくれますが、その力をどう使うかは全て自分にゆだねられているのです。強く唇をかみ締めました。


「……助けたい。憎い相手だけど、マカラがいなくなったら永遠にダリアと会えなくなるかもしれない。そんなのは嫌だから」

『了解した』


 止んだ風が再び吹き荒れる時にように、ゆっくりとした時間が急速に戻りました。それを感じさせたのは、地鳴りと微かな揺れでした。


「何が起こったんだ?」


 エルネアを介抱しに駆けつけたヴィーラを支え、ネディエが膝を折ります。しゃがんで大地にしがみついていないと、マカラの二の舞になりそうだったからです。


「分からない。でも、……来る!」


 どどどどど……! ありえない光景に視線が張り付きます。地平線の向こうからり上がって来たのは、人の丈をゆうに超える高さの水の波でした。


 何もかもを飲み込む激しい濁流だくりゅうが砂漠を覆っていく様を、彼女達はただただ見つめます。リーセンだけは、「滅茶苦茶ね」と呟きました。


『水が衝撃を和らげた。悪魔ほどの生命力があれば、生き延びているはずだ』

「う、うん。ありがとう」

「……ありがとう、じゃない。海だぞ、海が出来てるんだぞ! これを街に帰って、みんなにどう説明すれば良いんだ?」


 冷や汗混じりに礼を述べるミモルの横で、ネディエが慌てふためきました。

 彼女の言うとおり、崖の下の砂漠は元の姿をとどめておらず、今は向こうの方まで水平線が果てしなく続いています。


「ま、まぁまぁ。マスター、なんとかなりますよ」

「なるか! 隣町との行き来を復旧させるために来たのに、これじゃあ当分無理じゃないか」

『望みは叶えた。これで失礼する』

「待て待て!」


 叫びも空しく、水の精霊はきりとなって消えてしまいました。ヴィーラの治癒ちゆによって回復したエルネアも、暴れる少女を前に苦笑を隠せないでいます。


「砂嵐のおかげで砂漠を通る人はいなかったでしょうし、街にも被害はないみたいだから、きっと船が調達出来るまでの我慢よ」


 言われてようやくネディエも気を取り直したのか、深く息を吐きました。


「……仕方ない。ルシアさんに相談してみるか」

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