第17話 あくまとの対決①

「……苦しいの?」


 つぶやき、改めてはっきりとそう感じた瞬間、目を凝らさずとも少年の背後に薄く黒い影が見えました。

 ミモルは騒ぎの元凶をきつくにらみつけながら立ち上がります。目を離すと逃がしてしまうような気がしたからです。


「おい、どうかしたのか?」


 怪訝けげんな顔でネディエが問いかけてきました。やはり、他の人には見えていないようです。


「ねぇ、そのままじっとしていて。助けてあげるから」


 ゆっくりと一歩、二歩と近寄りました。助けるとは言ったものの、何故自分にだけ見えるのか、どうすればいいのかなど見当も付きません。


 それでも近づくほどに濃さを増す、少年と重なった影にひらめくものを感じたのです。あれさえ追い払えれば、彼を助け、嵐をしずめられるかもしれないと。


「来るな……、来るな……」


 口からは苦悩くのうを含んだ拒絶きょぜつがこぼれます。けれども言葉とは裏腹に、表情は待ち望んでいるように見えました。

 自らを支配する者に抵抗するように、腕が小刻みに震えながら差し出されます。初めて示した、彼自身の気持ちに他なりませんでした。


「今、行くからね」


 ミモルは意を決してその手を取りました。背筋に雷が駆け抜けるような痛みが走り、足元から強い風が舞い起こります。その風に、髪や服がすくい上げられました。


「風を生んだのか?」


 ネディエがそう言ったのは、今吹いた風が先ほどまでのものとは異質だったからです。もう、赤く引き裂く力ではありません。敵意を失った緑の風が、二人を包んでいました。


「――役立たずねぇ」


 忘れたくとも忘れられない響きに、その場にいた全員が凍りつきました。

 視線が揺れて、すぐには焦点を合わせられないほどの緊張感に、身を縛り付けられます。


「もう少し足止めしておいてくれるかと期待したのに。あっさりやられ過ぎ」

「ま、マカラ……!」


 憎しみを込めて名を呼んだのはネディエで、その手は強く握り締められていました。

 無理もありません。この悪魔のせいでパートナーを傷つけられ、母親を失い、叔母おばとの息詰まる日々を余儀よぎなくされたのですから。


 マカラは背の翼に風をはらみ、その流れに身を任せるような仕草で優雅に降り立ちます。ヴィーラが顔を引きつらせて「そんな」と呟きました。


「あの時、かなりの傷を負わせたはずなのに……!」


 主人がおそわれたあの時、彼女はミハイという大きな犠牲を得て、ようやく一撃を食らわせることが出来ました。

 幸いにもマカラは余力を失って姿を消し、軽症とは言い難いダメージを与えられたはずです。しかし、悪魔はにやりとわらって無傷の体をさらしています。


「あんなの、かすり傷よ」

「まさかダリアを!」


 苦々しく叫ぶエルネアの顔は白く染まっていました。ミモル達がその真意を確かめる間もなく、一足飛びにマカラに詰め寄ります。

 間髪入れずに繰り出された、その細い体からは想像出来ない速さの回し蹴りを、寸でのところでかわした悪魔が楽しそうにまた嗤いました。


 エルネアは当たらなかったことなど構いもせず、次いで攻撃しようと手を鋭く突き出します。相手は気にも留めないといったていでやすやすと受け止め、ささやきました。


「必死ね。そんなに大事なの?」


 息がかかりそうな距離で二人の視線はかち合い、互いに動きを止めます。


「エル、ダリアがどうしたっていうの?」


 ウィンはすでに呪縛を逃れて沈黙していました。一生懸命にそんな彼を抱えながら、ミモルは普段の穏やかなエルネアとはかけ離れた様子に困惑していました。

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