第15話 ひつような存在②

「ルシアさんは、お別れが出来ていなかったのかもしれないね」


 ルシアは再び塔の扉を開き、政治を始めました。

 街の集会場に立ち、人々に改めてミハイの死と、自分が伏せっていたこと、これからは街を繁栄に導くことを伝えます。


 堂々と話す姿に以前のような陰はなく、これが治める者の本来の有り様なのかとミモルは演説に聴き入りました。


「大丈夫。今はヴィーラが傍にいるもの」


 彼女の部屋には、たまってしまった書類が山と積まれていて、今はヴィーラのサポートのもと、一枚一枚確実に処理されています。同時に、占者としての力も発揮していました。


「そろそろ旅に戻りましょうか」


 確実に街が動き始めたのを感じ、疲れがすっかり癒えたエルネアも安心したように言いました。



 出立を控えた最後の夜、ミモルは夢を見ました。このところ辛いものばかり見ていたものでしたが、今夜は珍しく不思議な夢でした。

 夢の中では、ミモルは自分と同じくらいの歳の別の人間――少年の目を通して世界を見ていたのです。


「どうかなさいました?」


 女性が優しく問いかけてきます。微笑んでいることは分かるのに、何故か彼女の顔もぼんやりとしてよく見えません。

 ただ、少年がその笑顔にどきどきしていることは分かりました。顔が赤くなっていることも、我が事のように感じます。


「……なんでもないよ」


 発した声は、聞き覚えがあるような気がしました。直後、女性の名前を呼んだはずなのに、その部分だけは耳をすり抜けていきます。

 ミモルは、少年が押さえつけようとしている気持ちを、静かに見ていました。苦しくて息が詰まりそうな感覚です。


 少年は心の片隅でそれが「恋」だと知っている一方で、こんなものは子どもが大人に抱く憧れに過ぎないと思い込もうとしているようでした。

 翼から、光に透ける羽が零れます。彼を「マスター」と呼ぶ女性は天使でした。天使だから美しく、優しい。自分はこの世ならざる輝きに魅せられているだけ。


 彼女は所詮しょせん、主たる神のものなのだから、自分になど見向きもしないはず。だからこの感情は「恋」などではありえないのだと。

 ……そうやって言い聞かせていることが余計に辛く感じられました。


「ずっと……側にいてくれる?」

「もちろんですわ」


 真実を語る唇は虚しいものです。その優しい声も何もかもが、自分が死んでしまえば別のひとのものになるのです。

 ならばいっそ、恋などという彼女を混乱させる感情を捨て去ることこそが、互いのため。これ以上、自分を苦しませないため。そう決めたばかりなのに。


「私、『永遠』にあなた様の側にいてさしあげられたら良いのに……」


 僕は子どもで君は大人。僕は人間で君は天使。僕は――。

 否定するたくさんの要素が、頭の中をぐるぐるとあてもなく駆け巡ります。次第に何がなんだか訳が分からなくなって、気が付いたら口を開いていました。


「僕は……が好き。大好きだよ」


 両腕を無理に引き寄せ、精一杯抱きしめます。

 女性は驚いたように体を強張こわばらせていましたが、しばらくすると柔らかい身を預けてきました。甘い香りが鼻をくすぐります。


「私も――」



 はっとしてミモルは目を覚ましましたが、まだ抱きしめられた感触がこの身に残っている気がします。それほどに、今見た夢にはリアリティがありました。


「夢、だよね……?」


 確かめるようにつぶやきます。隣で眠っていたはずのエルネアの姿はすでになく、部屋は朝の清らかな空気に満ちていました。

 誘うような朝食の香りがふわりと鼻に届き、ミモルはベッドを抜け出しました。

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