第13話 あらわれた魂②

「嫌だ、来ないでっ!!」


 パリン! と固い音を立てたのは、割れて転がっていたワインボトルです。

 誰も触れていないのに、それは突然粉々に砕け、赤い染みの上に散らばりました。


「な、何だ……?」

「何が起こったって言うのよ」


 ネディエとルシアが、ミモルとその破片とを交互に眺めます。それは、ある意味で今までお互いにあった確執などとは比べものにならない驚異きょういでした。


「怖い、怖いよ……! やめて、来ないでっ」


 ばんっ、ドンっ! ミモルが叫ぶ度に絨毯が弾けて焦げ、扉に穴が穿うがたれます。理由は分からずとも、彼女が原因であるのは明らかでした。


「大丈夫よ、私がついているわ。だから落ち着いて。誰もあなたを責めてなんていないのよ」


 必死に優しくさとすエルネアを横目に、今度はミモルからネディエを庇って下がるヴィーラが、悲しげに呟きます。


「もともと危うかった制御を完全に失って、力がどんどん外へ溢れています。ルシアさん、貴女は叩いてはいけないドアを叩いてしまったのです」

「何ですって?」


 事態を把握しているらしい天使達が、物憂げな表情を浮かべて領主を仰ぎました。


「……ミモルちゃんは、育ててくれた人を失ったのは自分のせいだと思っているの。今まではぎりぎりのところで自分を保っていたのに。きっと、『あんたのせいよ』という言葉を聞いて、歯止めが効かなくなってしまったんだわ」


 小刻みに震えながらエルネアの中で叫び続けていたミモルの声が、徐々に嗚咽おえつに変わっていきます。


っ!」


 ちりっとした熱のような痛みに、ルシアが顔をしかめました。手で触ると、薄く血が付いています。頬に浅い傷が出来たらしく、鈍くひりひりしました。


「それはミモルちゃんの痛み。そしてネディエがあなたにしいたげられて感じていたはずの痛みよ」

『……もう、やめて』


 声にはっとして、その場のいたミモル以外の全員がヴィーラを注視しました。いつの間にかネディエを手放し、一人立ち上がった彼女は雰囲気を一変させています。

 苦しげに顔をゆがめ、哀れみの目でルシアを見ています。


「ね、姉さん? 姉さんなの!?」

『ルシア……。もう、こんなことはやめて』


 天使の口をついて出てくるのは、遠くから聞こえてくるような女性の高い声でした。

 室内の温度がいくらか下がった気がし、ヴィーラの全身はうっすらと青白く発光しています。


 感じるはずのない寒気に誰もが瞠目どうもくし、天使の一部となって消えたミハイの魂が表層へ浮き上がってきていることを理解しました。

 ルシアが夢を見ているような恍惚こうこつの眼差しで、両腕を広げます。


「姉さん、戻ってきて。私の体をあげるから」


 経緯はどうであれ、こうして願い通り姉に出会えたことで真意がはっきりしました。

 彼女がミハイの魂を欲したのは、自らの体を明け渡し、姉を復活させるためだったのです。しかし姉はゆるゆると首を振ります。


『諦めなさい。もう同じ存在と言ってしまえるくらいに、私達は繋がっているの。言葉を交わせるのもこれで最後。それに貴女の体を貰って生き返ることなんて、私は望まない』


 語る口振りは妹への哀れみに溢れていました。

 ルシアはまるで死刑宣告でも受けたかのように顔を歪ませました。驚きが悲しみに、やがて怒りへと変わっていきます。


「この街には姉さんが必要なのよ! 私じゃ駄目。私一人じゃ、ハエルアを導いてなんていけない!」


 最後の別れを告げに来た姉を、ルシアはこの世に繋ぎ止めようと必死に懇願します。

 叔母のそんな姿を目の当たりにして、今まで暴力に晒され続けてきたネディエは「あぁ、そうか」と呟きました。


 彼女は、この街の行く末が心配で、不安で、たまらなかったのです。

 姉妹揃って素晴らしい占者であることは確かでも、ミハイの能力は歴代の領主の中でも抜きん出ていました。


 そんな姉がルシアは自慢でした。嫉妬すら生まれないほどに、二人の力には差があると、彼女自身が誰よりも感じていたのです。

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