第10話 ぶつかった女の子②

 二人はハルルクを出発した数日後、このハエルアに入りました。

 街に入ったのは昼頃。太陽の光が真上から降り注ぎ、建物の屋根や人々を濃く照らしています。


 大通りを歩けば、ハルルクより人々や馬車が、にぎわいがずっと多く、大きいです。

 がっしりした造りの店がのきを連ね、往来を行く者を誘います。看板の細工にさえ職人の技を感じました。


「こんなに沢山の人を見たのは初めてだよ。ちょっと緊張する」


 初めて見るものばかりで気持ちが浮つき、ミモルはキョロキョロと辺りを見回しながら歩いていました。

 だから、細い路地から飛び出してきた女の子を避けることが出来ずにぶつかってしまったのです。


 二人は会話を二三交わし、気を取り直して再び歩み始めました。今度はミモルも周囲に気を配っていると、エルネアが強張こわばった心身をほぐすように言いました。


「さっきは気がつかなくて、ごめんなさい」

「えっ、ううん! エルは助けてくれたじゃない。支えて貰わなかったら転んでたよ」

「巡回する兵士の姿もちゃんと見えるし、きっと治安は良い街なんだと思うの」


 エルネアにとって安心させようと口にした言葉は、ミモルの表情を、驚きと感傷を伴ったものに変えました。


「私、幸せだったんだね」


 パートナーに言われるまで、兵士のことなど考えもしませんでした。

 ここに来るまでにも危険な目にあっておきながら、世の中の恐ろしいことが自分とは無関係な、遠くの出来事だと思い込んでいたのです。


 まだ心のどこかで、全ては噂や本の中の物語で完結しているものだと、信じていたかったのかもしれなれません。


『安心して。私がついているわ』

「えっ?」


 その声は、まさしく目の前に立っているエルネアのものに違いありません。

 ですが、こうして吐息を感じられそうな距離にいるよりもずっと近く、耳の奥から聞こえてきました。


「今の、エルが言ったの?」


 ミモルにはその感覚に覚えがありました。そう、心の奥からもう一人の自分が話しかけてくる時に似ているのです。


「驚かせてしまったわね。……あなたには辛いことかもしれないと思って、黙っていたの。これは心を覗かれるということでもあるから。でも、分かって貰いたかったのよ。私達は繋がっているって」


 どこに居ても、決してはぐれることがない。ニズムが見せた夢の中で、彼女が言いたかったのはこのことだったのです。

 ミモルは彼女の言葉を咀嚼そしゃくするように考え、念じてみました。


『手、握っても良い?』


 エルネアの青い瞳が見開かれます。

 雑踏の中で、自分達以外には聞こえない声がはっきりと伝わる。それは酷く不自然なことなのに、とてもすんなりと心に馴染なじみました。


 エルネアの細い手が、小さな手を取ります。すべすべして柔らかくて、とても温かかでした。


「一つ、提案しても良いかしら?」

「提案?」


 ここに至るまで、どこの村や町に入っても、まずは泊まるところを探していました。

 ルアナはしばらく暮らせるだけのお金を遺してくれています。けれども、ミモルは最初、使ってしまうことを躊躇ちゅうちょしました。それを説得したのはエルネアです。


『しばらくの間は疲れやすくなるから、出来るだけきちんと休養を取った方がいいわ』


 彼女は真剣な表情で言い、事実、その通りでした。

 天使は水分以外を摂取しない代わりに、主人から力を分けて貰うことでこの世に具現ぐげん化し続けています。


 人間とは体の作りが違い、病気にならず、疲れもほとんど感じません。まさに理想の守護者です。そして、その恩恵の対価を支払うのがミモルなのです。


 ここしばらくのぼんやりとした意識は、ショックと同時にそのせいもあったのでしょう。数日を経てやっと、一人で二人を支えることに慣れてきた実感がありました。

 だから、今までとは違うパートナーの「提案」には驚かされました。


「さっきの子を探したいの。ビックリして言いそびれてしまったけど、あの子から……天使の残り香を感じたのよ」

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