第三章 なげきの姉妹

第10話 ぶつかった女の子①

 二人は日が昇るのを待って宿を出ることにしました。こじんまりとしたその宿屋で、ミモルは食料を分けて貰いました。


「今はここだよ」


 エルネアが次は西へ向かうと告げると、宿を切り盛りしている女主人が近隣の地図を開いて見せてくれました。

 それにしても、ミモルもこの恰幅かっぷくのいい女主人とは宿に入った時に顔を合わせているはずなのに、まるで初対面のような気がします。


「ミモルちゃんのお家はここよ」


 この時、初めて自分達がどの辺りにいるのかを知りました。

 ショックからなかなか立ち直れずにした少女には、ここに来るまでの全てがかすみの中みたいにぼんやりとしていて、状況の把握どころではなかったのです。


「おやおや、随分と遠くから来たんだねぇ」


 女主人が驚いたのは無理もありません。天使が指さしたところは地図上ではただの森でしかなく、その平面からはとても人が住んでいるようには見えません。


「それで、こことここに寄って、この町に着いたの」


 丁寧ていねいに白い指先で旅路を辿って教えてくれます。南に少し、西に少し進んでいるようです。


 地図には、この町の前に通り過ぎたはずの村の名前が書いてあったものの、全く記憶にありません。

 ミモルは、自分がどれだけの間、抜けがらのようになっていたのだろうと思いました。


「エル、ありがとう。ここまで、助けてくれて」


 意識のはっきりしない子どもを連れての旅は、簡単なものではなかったはずです。こんなにお世話になっているのに、お礼を言うことさえ忘れていました。

 エルネアが瞳を見開き、それから笑顔に変わります。


「そんなこと。あなたが元気になってくれて、とっても嬉しいわ」

「ねぇ、次はどこに行くの?」


 すっと彼女の指が紙面をすべります。更に西へ向かい、目指すは。


「『ハエルア』よ」


 女主人が「あぁ」と明るい声をあげました。有名な場所なのでしょうか。


「その街はここよりもっと大きいよ。占いの街さね」

「『占いの街』……」


 占いとはどんなものでしょう。ルアナも時折それらしいことを行っていたような気がしますが、ミモル達にその秘密を教えてくれることは、ついぞありませんでした。


 新しい街。ちょっぴりの不安と一緒に、なんだか久しぶりに心がわき立つのを感じます。

 女主人が「そうそう」と思い出したように言いました。


「お嬢ちゃん、この町の名前は『ハルルク』だ。余所へ行ったら良い宿屋があるって宣伝しておくれよ?」

「あ……ハイ!」


 現実を見つめることと、久しぶりの明るい調子に、元気を分けて貰ったみたいです。

 怖い目に連続して遭遇そうぐうし、何もかも終わりのような気がしていました。しかし、まだ何も終わってなどいません。


 自分達は前へと進んでいるのです。地図でなぞった道筋は、それを教えてくれていました。

 女主人の声に押されて、二人は宿とこの町・ハルルクに別れを告げたのでした。



「わっ」


 細い路地を通り過ぎた途端、ミモルは何かにぶつかりました。

 倒れる寸前、隣を歩いていたエルネアに支えてもらって事なきを得たましたが、気を取り直して見ると、女の子が尻餅しりもちをついていました。


「痛た……」と小さく痛みを訴えながら、腰をさすっています。

「だ、大丈夫ですか?」

「あ、あぁ、大丈夫」


 ミモルが慌てて手を差し出し、相手を立たせると、同じくらいの背格好であることに気が付きました。


 淡い青の長い髪を、頭の左上部で束ねて三つ編みにして垂らしています。動きやすさを重視した軽そうな服装と、きりっとした顔立ちもあいまって、活発な印象を受けました。


「すみません。急いでいたもので、前をあまり気にしていませんでした」

「え、えっと、こちらこそ……ごめんなさい」


 相手の淑女というよりは紳士を思わせる口調は、丁寧でなめらかです。

 子どもが使わないような話し方ではきはきと喋られて、ミモルは面食らってしまいました。


 そして、お互いに怪我がないことが分かると、どちからともなく頭を下げて別れます。


「……村の子とは全然違うんだね」


 相手の背中が人ごみに消えてから感想を述べると、エルネアは何故か鋭い視線を投げかけたままでした。

 ミモルは話し方やさっぱりとした格好を見て、「都会の子」だと言いたかっただけです。しかし、天使は「きっと、良い家柄のお嬢さんなのよ」と言いました。


「どうして? お金持ちなら、もっとヒラヒラした服を着てるんじゃないの?」


 森からほとんど出ず、近くの村人としか接したことがないミモルの知識では、「お嬢さん」と言われても、おとぎ話に出てくるお姫様のイメージしか沸いてきません。


 綺麗なドレスに輝く宝石、どこへ行くにも馬車で向かい、自分でほとんど歩くことのない生活。

 我ながら発想が貧困だと思いましたが、それと今の相手とは、全く重なり合う点が見えてきませんでした。


「服の生地はとても良いものを使っていたし、敬語もスラスラ言えていたでしょう」


 エルネアに言わせると、この街は王都に比べるとまだまだ小さいそうです。

 富豪も権力者も数が少なく、他は皆、ミモル達より少しばかり良い生活をしているだけで、大して変わりはしないのだと。


「平民には、あの服は手が届かないはずよ。それに、教育が隅々まで行き届いているようには見えないもの」

「……」


 たった数秒の出来事から、そんなことが分かるなんて凄いとミモルは思いました。

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