第9話 月の下のさがしびと②

「……?」


 ミモルは胸が締め付けられる悲しみにはっとしました。

 突然の感情の波におそわれ、急に世界が変わった気がして、何がなんだか分かりません。


「……ここ、どこ?」


 しばらくは目を見開いたまま、自分が何を見つめているのかを必死に考えました。でも駄目です、状況をうまく理解できません。


「よかった。目を覚ましたのね」


 覗きこんできたのは、心配そうな表情のエルネアでした。

 今は背の白い翼を隠していますが、降るような金髪と整った顔立ちで、人ごみにいても際立って見える美貌びぼうの持ち主です。


 彼女の青い目に焦点を合わせると、そこには泣いている自分が映っていました。周りが良く見えなかったのは、涙でにじんでいたからだったのです。


「ここは私達が泊まっている宿屋よ。……よく聞いてね。私達は、夢を見ていたの」

「……ゆめ」


 何のことだか分からずにほうけていると、意識の覚醒かくせいと共に次第に涙も止まり、視界が開けてきました。

 自分が見つめているのが天井で、自分自身がベッドに寝ていることにも気がつきます。そうして初めて、柔らかなシーツが体に食い込む感触を肌に感じました。


「夢? 何が、夢だったの?」

「正確には私にもどこからが夢だったのか、はっきりとしないの」


 エルネアは言葉を選びなら話し始めます。さとすような囁き声は相手を気遣う優しさに満ちていました。


「水の精霊とミモルちゃんが契約したのは本当よ。でも、そのあと……ニズムの家に行ったでしょう。あれは、きっと夢の中の出来事だったのよ」


 ずんと胸に重く、記憶が鮮明によみがえってきます。その勢いがあまりに強くて、知らず知らずのうちに声が口からこぼれ出ていました。


「だって、ニズムが通りがかってくれたから助かったのに」


 家に行きました。紅茶とクッキーの香りも味も、まだ鼻や舌に残っています。山のような本の独特の匂いもおぼえているというのに?


「ついさっきまでそこに居たんだよ。それで、それで」



『ずっと探してる。……ずっと』



 最後に耳にしたあの言葉が、まだ耳から離れきっていません。

 それどころか、何度も何度も頭の中で繰り返し響きます。あんなにさみしい声が、夢などという曖昧あいまいなものであるはずがないのです。


「彼が何者だったなのか……。でも、とても強い力の持ち主だったのは確かよ。私達を夢の中へ引き込めるほどの、ね」


 ミモルはやっとのことで上体を起こし、だるい身をエルネアに任せました。

 出会って間もない彼女の腕の中がこんなに落ち着くのは、パートナーだからなのでしょうか。安心したら、また涙が溢れてきそうでした。


 あぁ、私は怖かったんだ。


 本当の親の元では暮らせなかったけれど、自分はルアナとダリアという家族が居て、その居場所はいつも暖かかでした。


 それが、今はこうして知らない町の慣れないベッドの上で、知り合ったばかりの女性と二人きりです。

 彼女は常に優しく、最初に会った時の言葉通りに本当に尽くしてくれますが、決して家族の代わりにはなりません。


「これから、どうなるの?」

「旅を続けるしかないわ。ミモルちゃんが……ダリアを助けたいなら」


 もしミモルが安全を望むなら、天使は自らの力の全てを使って、主を災いから遠ざけるでしょう。

 でも、それは同時に姉を見捨てるという選択でもありました。


「……うん、分かってる。聞いてみただけ」


 エルネアは短く「そう」とだけ、返事をしました。

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