第6話 二つのかげ②

「ミモルちゃんっ!」


 エルネアは主を追って水へ飛び込もうとする腕を絡め取られました。見れば、悪魔の暗い色をした瞳が目の前にあり、ねっとりとした声でささやきました。


「ふふっ、何を狼狽うろたえてるのよ。あぁ、アタシはマカラ。良い名前でしょ」


 名乗られた瞬間、エルネアの頭のすみで何かがうずきました。が、それはほんの一瞬のことで、突き止める前に更に指が腕に食い込んできて、消えてしまいました。


「……っ」


 反論をしようにも、背中を冷たい何かが伝うような響きを耳にしているだけで、足が石になってしまったような感じです。

 悪魔は満足げにわらうと、今度は痛いほどの殺意を向けてきました。


「でも、自己紹介しておいてナンだけど、……アンタには消えてもらう」


 強い力で羽交はがいじめにされ、ぐぐっと体を締め上げられていきます。


「う、うぅ」


 マカラの長い爪が刺さり、切れたところから血がにじみました。エルネアの白かった服が、あっという間に朱に染まっていきます。


「う、あぁっ」


 思わず呻いたのは、痛みからだけではありません。


「ほら、いいの? 早くしないと、大事な大事なご主人様が……」


 言われるまでもないことです。この間にも少女は水の中で苦しんでいるというのに、守るべき自分は何をしているのだろうと思うと胸が痛みます。


「あ、あなたのご主人様……ダリアはどうしたの」


 苦々しく思いながら、絞り出すような声で問いかけました。

 マカラには、このままエルネアを切り刻むつもりはないらしく、一定の強さ以上に力を込めてはきません。


 それは、契約主であるミモルを失うことが、そのままエルネアを消すことに繋がるからでした。こうして待っているだけで、敵を抹殺まっさつすることが出来るのです。


「あぁ、あの子」


 返事は素っ気ないものでした。まるで今まできれいに忘れていたみたいな口ぶりです。事実、こうして召喚された今となっては、生かしておきさえすれば良いのでしょう。


「少し暴れたから、黙らせちゃった」


 苛立ちを思い出したのか、笑っていた顔を歪める。

 同時に力が余計に加えられ、エルネアはなんですって、と言おうとした唇をきつく結びました。身動きが取れない自分の情けなさに、嫌気がさしてきます。


 悔しさの中、悪魔を睨み付けていた視線を泉に投げました。そこにはすでに泡も波紋も浮かんではいませんでした。


 下が明るい……。


 ミモルは重力に逆らうこともやめ、ひたすら落ちていきました。感じるのは、先ほど落ちた時にも見た不思議な明るさです。

 眩しくはありません。地面がほんのり光っているに過ぎないそれは、死後の世界への入り口なのかと思わせるものでした。


 私は死んでしまうのかな?


 しかし、それは全くの間違いだということを、リーセンの「見なさい!」という耳を突き破りそうなほどの叫び声で知りました。


「なに、これ」


 肌が震える衝撃に突き動かされ、泉の底を最後の力で見たとき、ミモルの全身が総毛立ちました。


「見たままよ」


 リーセンが冷静に応えます。いつの間にか一つの唇が二つの意識を声にして発していることにも気付かずに、少女たちは囁き合っていました。

 頭から落下していたところを、体をねじってなんとか足から着地します。底にたまった細かい砂粒がふわっと浮き上がり、またゆっくり落ちていきます。


 息苦しさは消えていました。煙のように立ち上った砂が収まると、再び「それ」は現れたのでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る