第7話 せなか合わせの絵①

「天使と悪魔……」


 くっきりと見えるのは紛れもなく、地面に掘り込まれた天使と悪魔の絵でした。底が明るいと感じた正体はこの絵が原因のようです。

 背中合わせでたたずむ二つの姿は、地上で今まさに対峙しているであろうエルネアと、ミモルがまだ名前を知らない悪魔そのものでした。


「象徴的なものでしょうけど、本当にそっくりね」


 リーセンが言います。しゃがみこんで、その輪郭りんかくを指でなぞってみます。かなり深く彫り込まれているらしく、長年泉の底にあっても表面が削られたりした跡は見られません。


「なんだか二人とも悲しそう」


 手を祈りの形に握り締め、今にも涙が零れ落ちそうな表情を浮かべる天使と、同じ悲しみでも怒りを含んだ顔をした悪魔。何を意味するものなのでしょうか。


『同じことがあったのを知っているか』


 ウォーティアの声が聞こえ、ミモルはあたりを見回しますが、どこにも姿はありません。……いえ、ここに満ちる水そのものが精霊自身なのです。


『「繋がるもの」よ、かつてここは今と同じく、天使と悪魔がまみえた場所。この絵はその時を描いたものだ』

「誰が、なんのためにそんな悠長なことをしたワケ?」


 幼い少女の口からは想像できない大人びた言葉が発せられ、精霊が一時押し黙ったのを感じました。

 リーセンは口を曲げ、腕を組んでどことも言えない空間をめ付けます。


「ケチくさいわね。あたしじゃ不服だって言いたいの?」


 精霊を相手に「ケチ」というあたりが彼女らしいとミモルは思ましたが、口にはしませんでした。


『契約は魂と行う儀式』


 返答は明瞭めいりょうで、さらに食い下がるのも不毛だと思ったのか、リーセンが意識の奥へと消えていくのをミモルは感じます。

 まだ踏み入れたことのない闇が垣間見え、この頃になってようやく、自分以外のものが自らを支配していたことに気付きました。


『一つの身に二つの魂を宿している者を見るのは久しぶりだな』


 念を押すようなセリフにどきりとします。「二つの魂」ということは、やはりリーセンはミモルとは別の存在のようです。


「他にもいたの? 私のようなひとが」

『いた。理由までは知らないが。そういえば、この絵に似ているか』

「え」


 ミモルは背中合わせの存在が何を指すのか、しばらくじっと考えていた。


『契約を』


 思考を遮る精霊の言葉にはっとします。契約という言葉に、エルネアはどうなったのだろうという思いが、急に湧き上がってきました。


『“エルネア”は強き天使。悪魔が相手でも心配は無用だ。それに、何かがあれば感じるはず』


 ウォーティアはそう言って、契約を、と繰り返します。

 絵を見つめて俯いていた顔を上げ、先ほどリーセンがにらんでいたあたりへ視線を投げると、再び声が頭に降ってきました。


『手を』


 言われるままに差し出した手のすぐそばで、淡い光が屈折します。それはそのまま透き通った手となり、ミモルと握手をするようにつながりました。

 次いで腕や肩の輪郭りんかくが見えるようになり、やがてウォーティアそのものが具現ぐげんします。


『見せよう。ここであったことを』


 青い瞳が開き、その視線に貫かれたと思った瞬間、すでにそこは水の中ではありませんでした。

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