第6話 二つのかげ①

「げほっ、ごほっ!」


 落ちていくと思っていたのに、唐突に強い力で引き上げられ、始めは気が付きませんでした。

 理解した頃にはすでに咳き込んで胃や肺を侵していた水を吐いており、それがおさまってから見上げると、目の前には先ほどの精霊の姿があります。


「わっ。う、浮かんでる……!?」


 二人は水面にたたずんでいました。

 自分を中心に波が広がり、その上に座り込んでいるのです。掴んでいた腕をウォーティアが離し、怪我はないかと聞いてきます。


『せっかく、久方ぶりに現れた契約者をこんなことで失うわけにはいかない』

「あ、ありがとう。……さっき、私を押したのは誰?」


 静かに精霊の指先が一点を示しました。そこには、木の陰に立ち尽くすエルネアがいて、ミモルの思考をかき乱します。


「まさか、エルが」

「よく見ろ」


 きつい口調でさえぎられ、改めて目をこらすと黒い影が飛び込んできました。

 エルネアが白く光を放つかのように見えるのとは対照的に、その影は夜に溶けてしまいそうに見えます。


「お久しぶりってところかしら?」


 高い声とともに、影が揺れてこちらへ向き直りました。対峙たいじするエルネアなど意に介さず、月明かりが射す場所へと身をさらします。

 それは、エルネアに勝るとも劣らない美しい女性でした。紫の髪を頭の上で束ね、肌の露出が多い服に身を包んでいます。


 ただし、まとっている空気も、背に負うコウモリを思わせる黒い翼も、見つめられると背筋が凍り付きそうな瞳も、エルネアとは全く違いました。


「あ、悪魔……!」


 ミモルはすでに、その姿にぴったりの名前を知っていました。


「やっと、新しいゴシュジンサマがアタシをんでくれたんだから、邪魔しようなんて考えちゃ駄目よ」

「ダリアはどこっ!?」


 ミモルは反射的に叫びます。この生き物が、自分を殺そうとしたのです。彼女は弾かれたように水を蹴り、詰め寄ろうと駆け出しました。


「ミモルちゃん!」


 掴まえなくちゃ。絶対、ダリアを取り戻さなきゃ。

 脳裏には閃光になって消えていった母親の姿が、張り付いて離れません。これ以上、家族を亡くすことなど考えられませんし、考えたくもないのです。


「ダリアを返してっ」

「アンタにウロチョロされると迷惑なの。もう一回、いってらっしゃい? 今度は上がって来なくて良いからねぇ」


 ひらりと悪魔が舞い上がりました。

 首もとを掴み損ねたミモルの、視界から消えた悪魔は頭上を飛び越えます。少女の背中に、さっきとは段違いの衝撃しょうげきおそいかかりました。


「っ!」


 はね飛ばされ、ミモルは再び深い深い泉の底へと落ちていきます。

 今度は精霊の助ける間もないほど、激しい勢いで底へと叩き付けられるようにです。


 ……い、いきが。


 一度は空気で満たされた肺は、空っぽだった分、水を勢いよく吸い込みました。

 瞬時に眩暈めまいに襲われ、上下左右の感覚も麻痺まひします。多分、自分は下に向かっているはずだという、曖昧な想像しか浮かびません。


 光が届かないのか、それとも目を開いていないのか、視界には闇が広がるばかりです。そんな状態に陥ったとき、ふとあることを思い出します。


 そうだ、儀式の夢……。


 あの時は、結局暗闇のまま夢が途切れました。今度もまた闇の中で意識が途切れそうです。


 あれ?


 不思議と苦しさが薄らいでいきます。死が迫っているからでしょうか。肉体から魂が抜けて、この世との繋がりが切れていく証拠しょうこ――?

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