第2話 ちかづく気配②

「まだ夜明け前だったんだね」


 家はすぐそばで、ここも遊び慣れた場所だから良いようなものの、そうでなければ足が竦むような暗さです。夜が明けるまであと僅か。こんなに朝日を待ち望んだのは久しぶりでした。


「帰ってきた感じがするなぁ」


 つ、と見上げると、巨木に螺旋階段を施し、枝葉にうずまるようにして作られた小さな家がありました。

 木戸を開けて玄関を過ぎれば、すぐ目の前が台所です。木桶を取り、のぼったばかりの階段をおりて、裏手の水がめから澄んだ水をすくって、顔にぶちまけます。


「ふうっ」


 もやもやと胸で渦巻いていた感情が静まるのを感じました。と思うと、頬に柔らかい布が当てられ、ルアナが「ほら、忘れ物」と笑っています。


「ダリアなら心配いらないよ」

「うん、ありがとう」


 曖昧あいまいに礼を言いながら、差し出されたタオルで顔を拭きます。洗顔を済ませて食卓につくと、もう食事の用意はなされていました。

 テーブルの上のパンやスープを美味しそうに眺めているミモルを見とめて、ルアナがクスクス笑います。


「あんた、昔から本当に変わらないわね」

「え?」

「前もそうやってテーブルを眺めていたことがあったわよ、覚えてない?」


 首をひねって、向かいに座ります。きっと、覚えていられないほど幼かった頃のことなのでしょう。進歩がないと言われたみたいですが、事実なのかもしれないなと思いました。


「……」


 普段通りの態度を貫くルアナを前にしていると、今が何の変哲もない日常のように錯覚しそうになります。隣の席にダリアがいないことを、空虚感としてはっきり感じているというのに。


 ゆっくり食事をする気にもならず、急いで口に放り込んでは咀嚼そしゃくを繰り返しました。

 美味しいはずなのでしょうが、こんな気持ちでは何を食べても同じです。全て食べ終えて席を立つと、一刻もと玄関に急ぎました。


「――え?」


 ふいに呼びとめられた気がして振り返ると、しかしルアナはまだ半分ほど残った食事をのんびりと眺めています。気のせいだったのでしょうか。

 フォークを掴む彼女の指先にはまった緑の石を視界のすみにとらえながら、扉を開けて外へ出ました。


「ダリア?」


 息を切らせて駆けつけるも、ダリアは先ほどと全く変わらない様子で横たわっています。


「いったい、いつ起きてくるんだろ」


 ねたような気持ちになって、ミモルはそばへ座り込みました。そういえば彼女の寝顔を見たのは久しぶりです。早起きのダリアに、いつもミモルは起こされてばかりでした。


 のぞき込まれ、毛布をはがされ、早く起きろと頬をつままれ……。今、同じことをしたら起きるだろうか? そう思って、頬へ手を伸ばそうとした時でした。


「……ん……」

「ダリア?」


 ずっと微動びどうだにしなかった唇が、小さくうめきをもらしました。長い睫毛まつげが震えます。目を覚ましそうな気配に期待したミモルは――近付く気配に気が付きませんでした。


「ミモルっ!」


 えっとぶつやく間もありませんでした。ルアナの切迫した声を遠くで聞いたのを最後に、意識はぷつりと途切れてしまいました。

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