都県境の橋の上

ジャックリーンあまの

都県境の橋の上

中学から大学まで私は都内の同じキャンパスに電車で通った。

家から近い私鉄の駅は徒歩十分で行けたけど、乗り換えが面倒なので一本で学校に着く地下鉄の駅まで雨が降ろうが朝から猛暑だろうがニ十分間二千四十二歩の道を通った。

運動が苦手で友達もあまりいない私の健康は、朝夕の通学歩行が支えていた。

特に渡らなければ駅に着かない橋のだらだらと続く勾配は足首の締まりと心肺機能に効果的だったと思う。

その橋のてっぺんから東京寄りにニ十二歩行った地点に、東京⇔千葉と欄干に小さな看板が溶接されている。

旧江戸川のほぼ真ん中。ここが都県境だ。

初めての異変は中学二年の九月一日午前七時十五分。

日付も時間も正確に記憶している。

「朝は一日のお正月、毎日静かに同じ行動を習慣としなさい」

大学の大先輩でパパの会社の創始者だった死んだばあちゃんにいつも言われていた。

だから時間も動きも起きた時から、朝は学校に着くまでは厳かな気持ちで同じ動きを心掛けた。

ベッドからは右足を先に出す。歯磨きは左下の奥歯から順に。半熟卵は崩さずに一気食い。玄関ドアは右ひざで押す。電車は二両目の最後部。不埒な事は考えずに電車の揺れに身を任せてスマホではなくおそらく車両で私だけ近所の図書館で借りた文庫本を読んでいた。

中学の入学式から毎日同じ通学路。

コースはもちろん、信号待ちのポジションも踏み出す一歩目の出し方も決めていた。

柿の木や神社の手水場や屋形船に目線を送るタイミングも毎日一緒にしていた。

橋は踏み入れた一歩目から数えながら渡るのが習慣づいていて欄干に沿った右側を毎日三百七十九歩で渡り切っていた。

対向して来る歩行者や自転車には避けていただき、私は道を譲らない。

考え事をしていても頭の片隅でカウントしているので、ああ百歩目だ、二百三歩で頂上だと常に分っていた。

冷夏の夏休みだったくせに二学期の始業式のあの朝。九月一日午前七時十五分は太陽ギラギラで体感的に三十度近かった。

家から千四百六十四歩、橋のたもとから二百二十三歩、てっぺんから二十二歩で差し掛かる都県境の看板がない。夏休みの間に消えていた。

初めて橋で立ち止まった。

登り切った自転車が私の左側をビュンビュン追い抜いていく。

だって欄干には、看板を外した跡がなかった。

私はそのまま欄干だけを見て橋を渡り切ったけど看板は無かった。

次の日、橋の同じ場所でまた立ち止まった。

看板があった。

東京⇔千葉の葉という漢字の汚れの部分もそのままに。

違和感はそこじゃなかった。

一歩早かった。

一歩だけ千葉寄り。家から千四百六十三歩。橋の端から二百二十二歩目。

欄干にばっちり溶接されたいつもの看板なのに場所がズレていた。

三百七十九歩で渡り切り、駅には千四百六十四歩で着いた。

試しに二番線ホームの二両目最後部までは二百五十一歩。いつもと変わらないいつもの歩数なのに。

(やっぱりおかしい)

帰り道でも数えたけどそれまでと一歩合わなかった。

次の日から看板までの歩数だけが違う朝が始まって一年が過ぎた。

中学三年の二学期始業式の朝。

なにげなく左足からベッドを降りてしまった。

そんな違和感で始まったのも、きのう初めて電車で痴漢にあって怖くて眠れなかったからだと自分に言い聞かせた。

ドアをひざで押し開けて歩き出し、きょうも暑いなと柿の木の光る葉っぱを見て一年前の今日を思い出した。

橋に入り千四百十歩めあたりからドキドキし始めた。ゆるい右カーブで欄干は先まで見えない。川を見るといつもの屋形船にカモメが数羽。

もうすぐ橋のてっぺんだ。

看板のサイドが見えて来た。

(ああよかった。あった)

だけどまだ家から千四百三十九歩めだ。

「あっ」

一年ぶりに橋の上で立ち止まった。

今度は一歩東京寄りになっていた。千葉の葉に擦り跡がついて汚れているいつもの看板が一年前の位置に戻っていた。

この日も三百七十九歩で橋を渡り切った。

毎日ここを通って駅に向かう見知らぬ通行人たちは、都県境の看板のずれに気がついているのだろうか。

聞いてみたいけど、無理だ。知らない人に話掛けるなんて経験がない。

市役所のお問い合わせフォームで尋ねて二週間過ぎても返事はなかった。

九月最後の日曜日に、パパの車でおばあちゃんのお墓参りに出掛けた。

車で橋を渡る時、いつも通っている歩道になにげなく目をやったら、少女が欄干を乗り越えようとしていた。

「きゃ」

「どうした」

「あの子」

「はあ、カモメがどうした」

欄干からカモメが飛び立った。

それからパパは運転しながらカモメの話を初めてユリカモメからウミネコとカモメの違いをクイズにしたところでママに黙れと言われた。

(絶対に女の子だった。川に飛び降りたのを見た)

おばあちゃんのお墓に手を合わせている時もその光景ばかり浮かんだ。

夕暮れに橋のたもとの船着き場に行ってみた。

遊歩道で半分はサイクリングロード。

毎朝橋の上から見ていた屋形船は自漕できない桟橋で模した造りだった。

初めて橋を下から眺めた。緑色の欄干が夕焼けの色を受けて青く光っていた。

もし飛び降りても死にはしない高さに見えた。

見間違いだったのかもしれない。

驚いた事に都県境の看板が欄干の川側にも掲げてあった。

いったい誰が見るんだ。

目を凝らして看板を見ていたら何かが違う気がした。

今ならスマホでズームすれば文字が読めるけど、そんな夢のようなアイテムは世の中に存在していなかった。急いで家に走りオペラグラスを取って戻った。

辺りが暗くなっていて読めない。

橋に行って身を乗り出して見たけど、欄干の外側には看板らしき物はなかった。

もう一度橋の下の遊歩道に行ってみた。

あった。やっぱり看板が薄ぼんやりと付いているのが確認できた。あそこはさっき橋から見たけどどうして見えなかったんだろう。

「気が付いたの」

声と同時に両足首を掴まれた気がした。小学校低学年の男の子の声だった。

橋を見上げたまま私は恐ろしさで下を見れず、声も出せなかった。

(地面から聞こえる)

持っていたオペラグラスを落とした。精一杯の抵抗だった。

下を見ることもできず、声も出せない。

どうしようと固まったままだったけど足に温かさを感じた。

恥ずかしいけどおしっこを漏らした。

「怖いのはわかるよ。でも伝えたい事があるんだ」

さっきの男の子の声じゃなかった。やさしいおじいさんの声だった。

勇気を出して目だけで下を見た。

ライトアップされた橋の灯で濡れたオペラグラスが転がっていた。

拾ってダッシュした。

(足があった。走れる)

振り向くと、橋が遠くになっていた。

その時、米粒サイズの看板が欄干にあるのがハッキリ分かった。

そして読めた。

東束⇔千童

東京と千葉の後ろの一文字が変わっていた。

東の束に千の童。その意味を理解しようと文字に集中していたんだと思う。

立ち止まって橋を見た。

「読めただろ」

「読めた」

やっぱり地面から聞こえた。

恐ろしいと思った声だったけど平気だった。

「だれですか」

足下と周りを見回した。カモメもいない。ジョギングをしているペアが橋の方から走って来るのが見える。

「あの看板って私にだけ見えているの」

だれに話すでもなく橋を見ながらつぶやいた。

「カモメやうなぎや鯉も見えてる」

「人間は私だけ」

「人間って、おまえどうかしてるぞ」

「だって私人間です。ママから生まれました」

「そうだよ。でも今のお前は違う。走ってきた道を見てみろよ。そんなに正確に点々を付けられるか人間が。人の長さで九十九㌢。俺たちの単位で一童。人間がぴったり一童づつおしっこを落とせるか、不可能だろう」

「イチドウ」

「頭の皿の円周。おまえの皿だって一童だろ」

「皿なんかないわ、河童じゃあるまいし」

「人間社会に洗脳されちまったな。せっかく童になれたのに」

「人間です」

「なあいいや。あっちからジョギングして来る奴が見えるか」

「二人並んで走って来る」

「ああ、そのままそこに立っているよ」

「邪魔じゃない」

「いいから、大丈夫、除けなくても。そのままそこにいろよ」

「だってぶつかっちゃう」

「いいから立っていろって」

「あっごめんなさい」

私にまったく気がつかずに、スピードを緩める事も道を譲ることもなくペアで並んで走って去った。

「まったく。童のくせに」

「えっ、なんで」

「だから川のこっち側に千童存在するんだって。おまえもそのひとり。だから東側に千の童が束ねられているってあそこに書いて教えたのに」

「千人もいるの」

「そうだよ。単位は童だけどな、人間はお前だけだ。イチョウやヘビや岩もいる。俺は土だ。この河原からこっち側の土になっている。二億年土だからほとんどの生き物と会話が出来る。おまえの事はカモメから聞いた。自分が童だって気が付いてない童がいるってね。皿の手入れをしたことないんだろ」

「皿、そんなものないわ」

頭を触っても髪があるだけで頭蓋骨だって分かる。そもそも頭のサイズが九十九㌢なんてありえない。

「おまえの一歩。走った時の一歩が一童だ。歩いた時も八分の五童で常に正確だろ」

「皿って歩幅なの」

「おまえの場合はな。だからお前は童に選ばれた。おれは地表からきっちり一童深い所までが俺だ。おばあちゃんの墓参りに行っただろ、あの深さがだいたい俺だ。なんで拝んでたんだ。あそこは骨が埋まってるだけだぞ。魂だって、骨になっても魂は存在するだって、それならテントウムシやイワシや鶏の魂だらけじゃないか。恐竜の魂はデカいのかよ。人間だけが特別だなんてありえない。決まっているのはこの川のこっち側は童が千だって事だけだ。死ねば次の童が生まれていつも千だけ存在している。魂なんてのはない。あるのは千の童だけだ。だからお前が死ねばなにかが次の童になる。生き物とか鉱物とかの区別なく数が決まっているだけだ。千だ」

「スマホとか新幹線になるかもね」

「それは作った物だからありえない」

「私だってパパとママが作った」

「作ったなんて思ってるのは人間だけだ。人間は相手の選び方が特別だから子供を作ったって言うけど子供は母親から生まれるだけでタコもネズミも蚊も一緒だ。死ねば腐るのも消えてしまうのもタコだろうが人だろうが一緒さ。今は生きているだけ。おまえは十五年生きているだけ、俺は二億六百六十四年生きているだけ」

「そして童は九十九㌢単位を持っている」

「分ってるじゃないか」

「私は童として何をすればいいの」

「だからそうやってなんでもかんでも意味を持たせるなって。人間である童として寿命まで全うすればいいだけだろう」

「だから生きていく目標よ、価値よ、夢や希望よ」

「そう言う考えの生き物はこれまで地球に六十七種居たらしい。俺が知ってる二億六百六十四年の間に人間を含めて四種。だからいづれ人間という種が丸ごと消えて無くなる。その種のひとりのお前が百年弱生きる意味は滅亡時間を早める事しかないだろう。あえていうなら次の童の引き継ぎに貢献することかな」

「私は将来ドクターになっておばあちゃんの死因だった心臓弁膜症を治したいの。救える命を救いたいの」

「なれるよ。本当は救えない命を救ってもいずれ消えてしまうけど人間ってそう考える生き物だもんな。殺し合いをするくせに平和を望んでるような、心臓弁膜症にならないような生活をするべきなのに暴飲暴食運動不足で不摂生して死を受け入れずに悪あがく」

「他の生き物より考えているわよ」

「逆だよ。他の生き物は人間を理解している。だけど人間は犬や猫とさえ話せないじゃないか。存在的には迷惑をまき散らす役目なんだよ。人間みたいなのがいないと地球は退屈なんだよ。身勝手で嘘つきで汚し放題の嫌われ者。数万年好き放題させて滅亡してもらい五千万年くらいで元に戻して、また人間のようなダメ生物を誕生させるのが俺たち童の役目なのさ。おまえは医者になって身勝手で嘘つきな汚し屋を延命さて地球再生のサイクルを速める役目を果たせ。それがお前の童としての目標で価値だ。同じ歩幅のお前なら大丈夫。それが夢なら叶うだろうよ。その時になったらまた話そう」

ほんの数十秒の会話だった。

ジョギングしていく二人がまだ見えていたから。

あの不思議な夏の日の出来事を忘れた事はなかった。

大学を卒業してドイツへ留学した時も、研究と研修に追われ腕を磨いていた日々も。心臓外科医として国際的に認められて帰国した成田空港でも、最初に思い出したのはあの日のあの出来事だ。

今では心臓弁膜症の世界的権威とまで呼ばれて、救った命が一万人で表彰もされた。

だけど私は人間ではない。童だ。旧江戸川のこっち側に住んでいる千分の一童。

人間ではないんだなと確証した二つの現象がある。

土の童が言っていたように心臓外科医になる道が開けていた。

医学部の試験も、ドイツの大学への留学認定試験も、執刀実技でも、分からない事や初めての事ででくわしても手が勝手に答えを導いた。

きっとあれが童の脳力なのだろう。

そしてもうひとつ。

日本でもドイツでもアメリカでも橋を渡る時に、あの木大きく育ったなとか、川底に二枚貝が大量発生していたなとか、景色や川の中の様子まで、記憶にない記憶が甦った。

だから気が付いた。全部私の記憶なんだって。

全部見て感じて味わって体験した嗅覚や触覚の記憶なんだって。

私はまた人の童として限界が近づいていた。

心臓外科医として治療不可能な自分の病巣は分かっているし余命もわずかだ。

あの日のように夕暮れに、少女の頃に渡っていた橋を遊歩道から眺めた。

足首を掴まれる期待を持って、耳をすまして語り掛けて来るのを待った。

自動運転の電気自動車が音もなく行きかう光の中に都県境の看板が浮かび上がった。

東束ー千童 

真ん中の⇔がーになっていた。

「一人足りなくなるのね」

だれに問うでもなく声にした。

「約束通り医者になれただろ」

「お久しぶりです。こんなおばあちゃんになってしまいました」

「見た目はな」

「そうね、二億年も生きているなら数十年は一瞬ね」

「お別れに来たんだろう、人間ってのはそういう生き物だからな。あのマイナスの表示も自分の事だって思い込んでしまう。二億年七百三十五年間いろいろ見ているけど、人間ってのは身勝手で変わらないな」

「いい人生だった。童生っていうのかしら、どうせまた繰り返すんでしょう、私分かったのよ、気が付いたのよ。ねえそうなんでしょう」

それきり、なにを問いかけても何も聞こえてこなかった。

足下を見ると、私は丸い環の上に浮いていた。

おそらく土の童の正体で円周九十九㌢。

(少し前にもこんな事があったな)

シュッと吸い込まれた。

何かに捕まろうとバンザイをして太く大きな骨を掴んで抱きかかえた。

温かい砂の上にぬるりと出る感覚があった。

「あっ」

左足からベッドを降りて自分で驚いた。

(きのうまではずっと右足から降りていたような気がする)

中学二年の九月一日午前七時五分、私は玄関のドアをひざで開けて、家から近い私鉄の駅に行くか橋を渡って地下鉄の駅に向かうか、初めて迷っていた。
















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