5
だんだんと強引になるのは私の悪い癖で、夏休みはこの家で過ごすと決めていた。凉夏さんがそのことをどう思うのか分からない。何か言われるまで居座ろうと、私の中の残酷さの可愛い部分がそうしようとしていた。
退学についての面談は先延ばしにする。先生からうるさい電話があるだろうけど、とにかく夏休みに入ってしまえばこっちのもんだ。私の夏は始まってて、すべてはその後に。
夏休みは、すぐにやってくる。
「いつ?」
凉夏さんが、朝食で使った食器を洗いながら私に聞いた。
一旦家に帰ってからまた来ると言うと、それはいつになるのかと凉夏さんに聞かれた。
「いつでもいいんですけど、今日中がいいですかね」
「そうなんだ。なにか大切なものがあるの? 別にここに大体のものはあるんだよ?」
「いや、大したものじゃないんですけど、いろいろと必要な私物があったり、気に入ってる本とか少し持ってきたいなって思ってるんですけど……」
凉夏さんの表情は見えない。食器は手際良く片付けられていく。
「うん。分かった。鍵、開けっ放しで大丈夫だよ」
「じゃあ、行ってきますね。凉夏さん」
家を出る時、凉夏さんがついては来なかった。不安になって名前を呼んだけど、返事もなかった。
ドアを開けると、瞳の中が焼き切れてしまいそうな日差し。私の未熟な手では遮ることが出来ない。
太陽で手が透けた。丁寧に磨いたつもりの爪が逆光で赤く光っている。ネイルを塗ってみよう。凉夏さんは詳しそうだし。
サドルは容赦無く熱い。誰の為にもならないのに必死に熱を溜め込んでいる。
速度を出して漕ぎ出せば、わずかに涼しさを感じることができた。夏だった。
くすんだ白色のマンションが見える。ここに私の家がある。
「ただいま」
誰もいない。たまに帰ってくる家は、嫌いな匂いに満ちていた。
本当は、ずっとその匂いが満ちている。普段は慣れているだけだ。
慣れるのは簡単だ。ずっとそこにいればいい。住めば都とかなんとか。だけど、眠りに落ちそうな時に決まってその匂いが蘇った。私はこの家が嫌いだった。
読みかけの本と、食べかけのお菓子とスマホの充電器と、その他もろもろをカバンにしまった。
服は、色々考えて制服のまま。凉夏さんに借りれば良いし。滞在時間をわずかにして家を飛び出す。
汗が、髪の毛をぴったりとおでこに貼りつけていた。
凉夏さんの家が見える坂を登る手前、短いトンネルでバイクに座っている男に声を掛けられた。
シルバーの車体に顔が見えるシルバーのヘルメット。けど、離れているのと男が俯き気味なので表情やあまり見えない。
それと、これは余談だけどスタイルが良い。筋肉もよくついているんだろう。ぱっと見でそう思わせるくらいには。
「すみませーん」
よく通る声で男はまた私を呼ぶ。
私は自転車を停めたが、警戒のため近くには寄らない。男も私が警戒しているのを分かっているのか、それ以上近づいて来ようとはしない。
「そこからでいいんで聞いてください。あの家には行かないでください」
予想外の言葉に心臓が強く打ち出す。
「あの家って、なんのことですか」
「青い屋根のあの家です。絶対に行かないでください」
なんの権利があってそんなことを言うのか。わからない。とにかく、癪に触った。
「警察呼びますよ!」
よく分からないまま、とりあえず強い言葉が口をついて出た。
「あ、待って。ったく。最後に一言だけ。これは忠告じゃない……」
聞こえたのはそこまで、自転車をこぎ出した。足が震えていることに気がついたのは、凉夏さんの家について自転車を降りた時だった。
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