だんだんと強引になるのは私の悪い癖で、夏休みはこの家で過ごすと決めていた。凉夏さんがそのことをどう思うのか分からない。何か言われるまで居座ろうと、私の中の残酷さの可愛い部分がそうしようとしていた。

 退学についての面談は先延ばしにする。先生からうるさい電話があるだろうけど、とにかく夏休みに入ってしまえばこっちのもんだ。私の夏は始まってて、すべてはその後に。

 夏休みは、すぐにやってくる。


「いつ?」

 凉夏さんが、朝食で使った食器を洗いながら私に聞いた。

 一旦家に帰ってからまた来ると言うと、それはいつになるのかと凉夏さんに聞かれた。

「いつでもいいんですけど、今日中がいいですかね」

「そうなんだ。なにか大切なものがあるの? 別にここに大体のものはあるんだよ?」

「いや、大したものじゃないんですけど、いろいろと必要な私物があったり、気に入ってる本とか少し持ってきたいなって思ってるんですけど……」

 凉夏さんの表情は見えない。食器は手際良く片付けられていく。

「うん。分かった。鍵、開けっ放しで大丈夫だよ」

「じゃあ、行ってきますね。凉夏さん」

 家を出る時、凉夏さんがついては来なかった。不安になって名前を呼んだけど、返事もなかった。

 ドアを開けると、瞳の中が焼き切れてしまいそうな日差し。私の未熟な手では遮ることが出来ない。

 太陽で手が透けた。丁寧に磨いたつもりの爪が逆光で赤く光っている。ネイルを塗ってみよう。凉夏さんは詳しそうだし。

 サドルは容赦無く熱い。誰の為にもならないのに必死に熱を溜め込んでいる。

 速度を出して漕ぎ出せば、わずかに涼しさを感じることができた。夏だった。

 くすんだ白色のマンションが見える。ここに私の家がある。

「ただいま」

 誰もいない。たまに帰ってくる家は、嫌いな匂いに満ちていた。

 本当は、ずっとその匂いが満ちている。普段は慣れているだけだ。

 慣れるのは簡単だ。ずっとそこにいればいい。住めば都とかなんとか。だけど、眠りに落ちそうな時に決まってその匂いが蘇った。私はこの家が嫌いだった。

 読みかけの本と、食べかけのお菓子とスマホの充電器と、その他もろもろをカバンにしまった。

 服は、色々考えて制服のまま。凉夏さんに借りれば良いし。滞在時間をわずかにして家を飛び出す。

 汗が、髪の毛をぴったりとおでこに貼りつけていた。

 凉夏さんの家が見える坂を登る手前、短いトンネルでバイクに座っている男に声を掛けられた。

 シルバーの車体に顔が見えるシルバーのヘルメット。けど、離れているのと男が俯き気味なので表情やあまり見えない。

 それと、これは余談だけどスタイルが良い。筋肉もよくついているんだろう。ぱっと見でそう思わせるくらいには。

「すみませーん」

 よく通る声で男はまた私を呼ぶ。 

 私は自転車を停めたが、警戒のため近くには寄らない。男も私が警戒しているのを分かっているのか、それ以上近づいて来ようとはしない。

「そこからでいいんで聞いてください。あの家には行かないでください」

 予想外の言葉に心臓が強く打ち出す。

「あの家って、なんのことですか」

「青い屋根のあの家です。絶対に行かないでください」

 なんの権利があってそんなことを言うのか。わからない。とにかく、癪に触った。

「警察呼びますよ!」

 よく分からないまま、とりあえず強い言葉が口をついて出た。

「あ、待って。ったく。最後に一言だけ。これは忠告じゃない……」

 聞こえたのはそこまで、自転車をこぎ出した。足が震えていることに気がついたのは、凉夏さんの家について自転車を降りた時だった。

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