頭から洗うのが一番合理的だと私は思う。水は下に流れていくから、汚れも同じように下に流したらいいと思うから。

 凉夏さんのシャンプーはちゃんと凉夏さんの匂いがした。髪の毛を洗いながら、よく、私を泊めてくれたなと思う。急なわがままだったのに。

 泡を流しきって、鏡を見た。

 高校の校則を守ったちょっと長めのショートカット。退学したら伸ばそう。それで染めよう。

 一回派手な色に染めて、そういうのがオッケーなバイトを探そう。

 お風呂を出ると、パジャマが置いてある。艶々した薄黄色のシルク生地を使ったパジャマ。

 ネグリジェ、とかいうやつだ。それしかないから着てみるけど、メッチャ可愛かった。

 リビングに向かう。

「あのー、凉夏さーん。パジャマ、セクシーすぎるんですけど……」

 凉夏さんがいない。

 とりあえず椅子に座ってみる。机には今夜のご飯が準備してあった。

 旅館で出るような小さい鍋が二つ並んでいた。修学旅行で見たのが最後かな。

 鍋が乗っている台には、火をつけるための青色のろうそくみたいなアレが置いてあった。あれって、買えるんだ。

「凉夏さーん」

 見当たらないので家の中を恐る恐る廻る。呼びかけながら。

 あるドアの前で返事があった。

「ごめーん。もうちょい待ってて」

 間も無く、扉が開いた。中から出てくる凉夏さんの手は黒く汚れていた。

 血?

「どうしたんですか!」

 声が上擦る。

 焦る私をみて凉夏さんが笑った。

「まって、まって。どうしたの?」

「手、それ」

「え、ああ。汚れちゃうんだよね」

 両手を近くで見せてくる。血ではなかった。

「土、ですか。なんで?」

「うーん。秘密。じゃなくてもいいんだけどね。ご飯食べてから教えてあげる」

 二人でリビングに行く。凉夏さんが私の鍋から順に火をつけた。いかにも科学的な匂いがする。

 しばらくすると甘い肉の匂いがした。ほんとに旅館みたいに鍋の中には具材が準備してあった。

 蓋を開け、想像通りの具材が目に入る。えのき、焼き豆腐、椎茸、牛肉。しかも、霜降りってやつだ。

 良い匂い。だが少ない。

 ぺろりと平らげてしまうと、デザートが出てきた。バニラアイス。上にはブルーベリーソースがかけてある。

 食べ終わり思う。嘘みたいな晩御飯だ。今日、突然泊まると私がワガママを言ったのに、こんなにおしゃれっぽい料理が出てきて良いのだろうか。

 少しの苦くて、甘い香りのする炭酸の飲み物を飲んでいると、凉夏さんが静かな声で私を誘う。

「部屋、見に来る?」


 扉を開けると、土の匂いがした。それと、酸っぱいような匂い。

「あの、この部屋、大丈夫なんですか?」

 私は異様な雰囲気に思わず不安を漏らす。

「虫、苦手なの?」

「むし、きらい!」

 怖くて叫んでしまった。少ししてから、凉夏さんに抱きついていたことに気がつく。

「ど、どこに虫がいるんですか?」

「大丈夫。ちゃんと出てこないようにしてるから」

「え?」

 と声が出て、それから冷静になって気がついた。飼育してるんだ。

 部屋の中をみると、ガラスのケースに虫がいる。ツノが生えている。

「あー、そういうことですか。カブトムシの飼育ですか?」

「うん」

「こういう趣味があるんですね。何だか意外です」

 凉夏さんが部屋の奥に入っていくから、しょうがなく私も入る。

「結構やることが多くて大変なんだ」

 置かれた机の上にはノートと図鑑が何冊か並んでいる。

「そうなんですか」

「うん。だから私カブトムシ嫌い」

 憧れの凉夏さんの否定的な言葉に、なぜかドキドキした。私が言われた訳じゃないのに。

「はは。嫌いなのに飼育してるんですね」

「最近見つけたこの子、お気に入りなの」

 机の端に小さな虫かごがあった。芋虫が青々とした葉っぱを貪り食べている。びっくりするほど大きくて、鮮やかな緑色。

「もうそろそろ、サナギになるんだよ」

「詳しいですね」

「図鑑で読んだから」

 机の上の図鑑を指さしている。古ぼけていて、だからこそ愛着を持って使ってきたんだろうと分かる。子供の頃の凉夏さんが図鑑を開く姿を勝手に想像してしまう。やばい。にやけそう。

「にやけてる」

「ひっ!」

 やれやれ。表情筋を鍛えないと。

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