2
玄関にはお姉さんの靴しか置いてなかった。この広さの家に一人で住んでいるのってどんな気持ちなんだろう。
「お邪魔します」
「どうぞ。ふふ」
そのままにリビングまで案内してもらう。窓から、いつも見ていた庭が見えた。
「お腹空いてる?」
「いえ。緊張でそれどころじゃないです」
「ふふ。かわいいんだね」
お姉さんはそう言って、どこかに行った。残された私は恥ずかしさで爆発しそうだ。
戻ってくると、両手いっぱいに白い布を抱えて戻ってきた。いつも見ていた、大きな真っ白な布。
「あの、その布って何に使ってるんですか?」
「ベッドだよ」
毎日シーツを洗うなんで、とても綺麗好きなんだろう。
「私も手伝います!」
「ん? あ、ありがとうね。えっと、じゃあ冷蔵庫から炭酸持ってきて。外の机に置いといて欲しいな」
冷蔵庫の中には、高級そうなワインが三本入っている。あとは卵。他は炭酸のペットボトルくらいだった。
野菜室には鮮やかなピーマンやナスが少しずつ入っていて、冷凍庫には白い紙に何かが包まれてる。これは多分高級な肉だ。昔、うちでも一度だけ見たことがある。
物色しているとお姉さんの声が聞こえた。
「まだかなー」
「今行きます!」
そして、いつも見ていたあの一人用の小さな机に向かう。妙な感じがした。ずっと見ていた映画のワンシーンに自分が参加している感じ。
振り返ると、お姉さんがシーツを干していた。
真っ白な布が風を蓄えて膨らむ。お姉さんはそれを背にして椅子に座る。
「向こうにあるから持ってきてくれない?」
お姉さんが指差す先に、椅子が一つあった。
お姉さんと同じ椅子だ。白色で幾何学模様にくり抜かれた背もたれ。
私は椅子を持ってきてお姉さんの隣に座った。
机の上にはリンゴが二つ、ガラスのボウルに収まっている。
「名前、聞いてもいいですか?」
「うん。いいよ」
風が吹き上げる。お姉さんの緩いウェーブの髪が揺らぐ。そして、そう。その髪をかき上げるんだ。
「ねえ、早く名前聞いてよ」
「え、さっき聞きましたよ?」
「違う。さっきのは名前を聞いていいのかの確認でしょ? 私は許可したんだし、名前、聞いてよ」
お姉さんは、リンゴの皮をナイフで器用に剥いていく。
「私、桂木朱莉(かつらぎあかり)っていいます」
「うん」
見つめられた。瞳は大きくて、大人っぽい。きれいな二重と、整った目尻と目頭。それが私のために開かれていた。
もし、周りに誰かがいたら、私は怖気付いて目をそらしてしまったと思う。それくらい、お姉さんと私は別種だった。
「お名前を教えてください」
ギュッと目を瞑って言った。
「告白してるんじゃないんだから。そんなに緊張しないでよ」
そうな風に言われると、本当に告白してるみたいで余計に緊張する。
「水上涼夏(みずかみすずか)」
「え?」
「私の名前。言ってみて」
「水上涼夏、さん?」
「うん。朱莉ちゃんは可愛い声をしてるね」
「あの、水上さん。それって馬鹿にしてますか?」
水上さんは、そんなはずないでしょと笑った。
リンゴに視線を落とすと皮剥きの続きを始める。
「ねえ。朱莉ちゃん。下の名前で呼んで。名字は、あんまり呼ばれたことないから」
「えっと、涼夏さん。でいいですか?」
「うん。やっぱ可愛い声だね」
凉夏さんは流し目で私を見ている。そして次のリンゴを手に取って笑った。私はリンゴみたいに赤くなってる。
リンゴをミキサーで砕く。それを炭酸で割った。私の分と凉夏さんの分。二つのコップが並んでいる。
「好きなの使って」
少し太いストロー。色が四色ある。赤、青、緑、黄色。
「黄色をもらいます」
「じゃあ私も黄色」
リンゴジュースを吸い上げる。私は、凉夏さんのその姿を見た。ちょうど風が吹いて、白い布が羽ばたく。花の蜜を吸う、美しい蝶。
「あの、わたし、マスカット持ってきたんです」
「じゃあ、それも食べようか。パーティーだね」
白い布が萎む。これはサナギから出てきたばかりの蝶。なぜか、この姿の方が凉夏さんに似合っていると思った。
凉夏さんが突然指を指した。方向はいつも私がいた場所だ。
「あそこ。朱莉ちゃんの後ろ姿、見てたよ。ねえ、朱莉ちゃんはなんでいつも家を見てたの?」
「それは、えーっと。素敵なお庭だなって」
それと素敵も女性もいて。とは言わない。
「へー。朱莉ちゃんってロマンティックって感じだね」
それから、いろんな話をしたけど、思い出してみれば、私の話ばかりだった気がする。
水上凉夏さんのことは、その姿以外何もわからないままだ。いや、目を閉じればその姿さえわからなくなってしまいそうだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます