玄関にはお姉さんの靴しか置いてなかった。この広さの家に一人で住んでいるのってどんな気持ちなんだろう。

「お邪魔します」

「どうぞ。ふふ」

 そのままにリビングまで案内してもらう。窓から、いつも見ていた庭が見えた。

「お腹空いてる?」

「いえ。緊張でそれどころじゃないです」

「ふふ。かわいいんだね」

 お姉さんはそう言って、どこかに行った。残された私は恥ずかしさで爆発しそうだ。

 戻ってくると、両手いっぱいに白い布を抱えて戻ってきた。いつも見ていた、大きな真っ白な布。

「あの、その布って何に使ってるんですか?」

「ベッドだよ」

 毎日シーツを洗うなんで、とても綺麗好きなんだろう。

「私も手伝います!」

「ん? あ、ありがとうね。えっと、じゃあ冷蔵庫から炭酸持ってきて。外の机に置いといて欲しいな」

 冷蔵庫の中には、高級そうなワインが三本入っている。あとは卵。他は炭酸のペットボトルくらいだった。

 野菜室には鮮やかなピーマンやナスが少しずつ入っていて、冷凍庫には白い紙に何かが包まれてる。これは多分高級な肉だ。昔、うちでも一度だけ見たことがある。

 物色しているとお姉さんの声が聞こえた。

「まだかなー」

「今行きます!」

 そして、いつも見ていたあの一人用の小さな机に向かう。妙な感じがした。ずっと見ていた映画のワンシーンに自分が参加している感じ。

 振り返ると、お姉さんがシーツを干していた。

 真っ白な布が風を蓄えて膨らむ。お姉さんはそれを背にして椅子に座る。

「向こうにあるから持ってきてくれない?」

 お姉さんが指差す先に、椅子が一つあった。

 お姉さんと同じ椅子だ。白色で幾何学模様にくり抜かれた背もたれ。

 私は椅子を持ってきてお姉さんの隣に座った。

 机の上にはリンゴが二つ、ガラスのボウルに収まっている。

「名前、聞いてもいいですか?」

「うん。いいよ」

 風が吹き上げる。お姉さんの緩いウェーブの髪が揺らぐ。そして、そう。その髪をかき上げるんだ。

「ねえ、早く名前聞いてよ」

「え、さっき聞きましたよ?」

「違う。さっきのは名前を聞いていいのかの確認でしょ? 私は許可したんだし、名前、聞いてよ」

 お姉さんは、リンゴの皮をナイフで器用に剥いていく。

「私、桂木朱莉(かつらぎあかり)っていいます」

「うん」

 見つめられた。瞳は大きくて、大人っぽい。きれいな二重と、整った目尻と目頭。それが私のために開かれていた。

 もし、周りに誰かがいたら、私は怖気付いて目をそらしてしまったと思う。それくらい、お姉さんと私は別種だった。

「お名前を教えてください」

 ギュッと目を瞑って言った。

「告白してるんじゃないんだから。そんなに緊張しないでよ」

 そうな風に言われると、本当に告白してるみたいで余計に緊張する。

「水上涼夏(みずかみすずか)」

「え?」

「私の名前。言ってみて」

「水上涼夏、さん?」

「うん。朱莉ちゃんは可愛い声をしてるね」

「あの、水上さん。それって馬鹿にしてますか?」

 水上さんは、そんなはずないでしょと笑った。

 リンゴに視線を落とすと皮剥きの続きを始める。

「ねえ。朱莉ちゃん。下の名前で呼んで。名字は、あんまり呼ばれたことないから」

「えっと、涼夏さん。でいいですか?」

「うん。やっぱ可愛い声だね」

 凉夏さんは流し目で私を見ている。そして次のリンゴを手に取って笑った。私はリンゴみたいに赤くなってる。


 リンゴをミキサーで砕く。それを炭酸で割った。私の分と凉夏さんの分。二つのコップが並んでいる。

「好きなの使って」

 少し太いストロー。色が四色ある。赤、青、緑、黄色。

「黄色をもらいます」

「じゃあ私も黄色」

 リンゴジュースを吸い上げる。私は、凉夏さんのその姿を見た。ちょうど風が吹いて、白い布が羽ばたく。花の蜜を吸う、美しい蝶。

「あの、わたし、マスカット持ってきたんです」

「じゃあ、それも食べようか。パーティーだね」

 白い布が萎む。これはサナギから出てきたばかりの蝶。なぜか、この姿の方が凉夏さんに似合っていると思った。

 凉夏さんが突然指を指した。方向はいつも私がいた場所だ。

「あそこ。朱莉ちゃんの後ろ姿、見てたよ。ねえ、朱莉ちゃんはなんでいつも家を見てたの?」

「それは、えーっと。素敵なお庭だなって」

 それと素敵も女性もいて。とは言わない。

「へー。朱莉ちゃんってロマンティックって感じだね」

 それから、いろんな話をしたけど、思い出してみれば、私の話ばかりだった気がする。

 水上凉夏さんのことは、その姿以外何もわからないままだ。いや、目を閉じればその姿さえわからなくなってしまいそうだ。

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