第7話
▽
_ハルギア歴1426年
アストリア王国 地下研究所
_……きて……あさま……
ゆらゆらと身体が揺られる感覚がした。自分を呼ぶ悲し気な声も聞こえてくる。朧気だった意識がゆっくりと覚醒し、瞼を開く。
だんだんはっきりしてきた視界に映ったのは、あの地下研究所の天井、そして俺のことを不安気に見つめるアレクの顔だった。
「アレ……ク…」
「っ! お母様っ!」
俺が起きたことに気づいたアレクが思いっきり抱きついて来た。俺はそれを受け止め、少し身を起こして抱きしめる。
「お母様……! お母様!」
「よしよし、アレクは甘えん坊ですね」
わんわんと泣くアレクの頭を優しく撫でる。俺はベッドに寝かされていて、白いワンピースのような病衣を着ているのだが、それがアレクの涙でしっとりと濡れていく。そんな状態でも相変わらずこの子には愛しいという気持ちしか湧いてこない。むしろこの子に会うためにゲームを起動したんじゃないかなとすら思う自分に内心苦笑した。
「おぉ、王妃様。気が付かれたのですね」
ガチャリと扉を開け、白衣と白髪の男が入ってきた。アサギだ。
カルテのようなものを手にした彼は俺の眉の裏を覗いたり、触診をしたりして診察してくれる。この時今更ながら確認したが、ゲームを起動したことで俺の身体は無事ビスカのものへ変わっていた。
アサギが言うにはあの初戦闘の後、俺は気を失って倒れたらしい。彼の見解では、10年ぶりに目覚めた身体で魔力を放出するような全力の戦闘をしたせいで体力を使い果たしてしまったとのこと。かれこれ3日は眠り続けていたようだ。
3日? 俺がゲームを起動するのは1日ぶりだ。
そのことに俺は首を傾げた。あちらとこちらの世界では時間のズレがあるのか、それともシナリオ上の設定か。
ゲーム的に考えたら多分後者だろうな、なんてふんわり当たりを付けて俺は自分の胸元のアレクに目線を落とす。何がともあれこの子に大泣きするほど心配をかけてしまったのは心苦しい。
「おーい、ビスカの目が覚めたって?」
「姫様っ! ご無事ですかっ!?」
「うるっせーなジジィ! もっと静かに入って来いよ」
その後、ダークエルフのジャコウと老齢のミヤマが入ってきた。エプロン姿で手にお粥の入ったお椀を持ち、ドタバタとやって来たミヤマにジャコウが悪態をつく。
ミヤマは執事服をビシッと着こなした格好いい雰囲気のおじいちゃんなので、ふりふりのエプロンを着ている今の姿は非常にミスマッチだ。普段は長いちょび髭も相まってキリッとした人なんだろうけど今は俺のことを心配してくれる好々爺にしか見えない。
ジャコウはダークエルフらしい褐色の肌と灰色の髪が特徴的な青年だ。服についてはあまり詳しくないのでふわっとしか言えないが、袖なしの黒い上とダボッとしたズボンといった、砂漠のオアシスや地中海を思わせるような涼し気な服装をしている。腰にサーベルを差して佇む様は、RPGに出てくる職業”盗賊”のイメージにまんま合っている。
俺はミヤマからお椀を受け取った。ほこほこと湯気が立ち上るそれには良く煮えたお粥が入っていた。お米の形が若干俺が知っているものと違う様に見えたが、よく知る美味しそうな香りがしてくる。
「ありがとう、ミヤマ。ではいただきますね」
_きゅ~……
早速木でできたスプーンで食べようとした時、胸元から可愛らしい音が聞こえた。見下ろすとアレクが恥ずかしそうに頬を赤く染め、ぷいっと顔を逸らした。それを見てジャコウがプッと笑い出す。
「カッカッ♪ アレク坊はずっと母ちゃんの看病してたもんな。そりゃ腹も空くか」
「もうっ、ジャコウ!」
笑われたアレクはぷりぷりとジャコウに怒った。そんなアレクを宥め、俺はくすりと笑ってスプーンに乗ったお粥を差し出した。
「はい、あーん」
「えっ、お母様」
「いいから、一緒に食べましょう、ね?」
アレクは恥ずかしそうにしながらもお粥を食べてくれた。美味しい? と聞きながら俺も一口いただく。ただお米を水で茹でたそれだけのものだったが、塩がいい具合に効いていてなかなか美味かった。
そうやって二人で一杯のお粥を食べ終わった頃に、アレクはこっくりこっくりと舟をこいでいた。地下だから分かりにくいが今は夜、ずっと俺についていてくれたようだしお腹がいっぱいになって眠くなってしまったようだ。
「アレク、眠いなら寝てもいいんですよ」
「でも、お母様……」
「大丈夫、私はどこにも行きませんから。一緒に寝ましょう」
「うん……」
相当疲れが溜まっていたのか俺の言葉を聞くと安心したかのように頷き、ぽふんともたれかかってきた。瞼を閉じてくーくーと寝息を立てる。しばらくその頭を宝物を扱う様に優しく撫でてあげた。
「して姫様、我々はこれからどういたしましょう」
ミヤマがそう話を切り出した。皆の方を見ると、三人が三人共神妙な面持ちで俺を見ている。
「明確な場所はバレてねぇとは思うが、俺達がこの辺りに隠れ住んでることは人間どもに知られちまった」
「そうですね、またいつ刺客がやってくるか分かりません。口惜しいですがこの研究所から発つべきでしょう」
「姫様、貴女に指示を仰ぎたい。我々がこれからどのように生きていくべきなのか」
まるで王に仕える臣下のように、いや実際そうなのだろうがベッドの上の俺に礼を尽くし、仰ぎ見て言葉を待つ三人。ゲームとはいえこんなに他人に畏まられたことがない俺はつい圧倒されてしまう。
とはいえ彼らは真面目に話しているわけだからいつまでも固まっているわけにもいかない。大丈夫、ゲームの目的を決めるだけ。そう自分に言い聞かせて心を落ち着かせる。
しかし目的ね……。アサギから聞いた話によると、俺は滅ぼされた魔人種の王国の正当なる王妃。王であるエドワードが死に、その後継者であるアレクがまだ幼いことから俺達の最終的な決定権は俺が持っていることになる。なかなか責任重大だ。
まぁまったく指針がないわけではない。今この世界にはかつて共に国を造り、運営した仲間達が散り散りになっているらしい。彼らが今どうなっているかは分からないが、あの勇者と聖女っぽい最初の敵がアレク達を魔人というだけで目の敵にしていたことから、少なくとも人間達からろくな扱いはされていないだろう。
となれば王妃として目指すべきはただ一つ。王エドワードの遺志を継ぎ、再び彼らを集めて国を造り直すことだ。もしかしたら人間への恨みを溜め込んでいる者もいるかもしれないから復讐のための戦いも視野に入る。
与えられた情報から推測するに、きっとこれがこのゲームの大まかな目的であり、プレイヤーの行動指針だ。同時に王妃として三人に伝えるべき指示なのだと思う。
だけど………
「…スー……お母…様……」
俺の腕の中で安らかに眠るアレクの顔を見ると、本当にそれでいいのかなと思ってしまう。
自分が人間達に襲われても母に危害が及ばないよう遠くに逃げ、その母が疲労で倒れたら自分のことを顧みないで看病してくれる優しい子。国の再構築だとか復讐だとか、そんなことよりもこの子が健やかに育ってほしいと本当の母のように思ってしまう。
胸の内から湧き上がる愛しい気持ちは、それを最優先にしろと訴えてくる。国や民よりも息子のことを優先する、姫としては間違った判断なのかもしれないけど俺はそれに従うことにした。アレクのことを可愛く思っているのは俺も同じ、せっかくのゲームなのだから好きにしようと考えたのだ。
「……当面は世界に散った仲間達を探しましょう、皆でもう一度国を造るために。ただし、それは最優先事項ではありません」
「……では何を?」
ミヤマの問いに、俺はアレクの髪に顔をうずめた。幼児特有のミルクのような甘い匂いがする。
「…アレクが、この子が健やかに育っていくこと。何でもないことで笑って、泣いて…、美味しいものを食べて、夜は安らかに眠って…、将来に希望を持って元気に育っていってほしい。それが私の願いです」
頭で考えていたことを淡々と伝えるつもりだったのに、いつの間にか本当の母のように、ビスカ本人になったかのように話していた自分に驚く。自分では気づいてなかったが、俺は感情を吐き出しやすいタイプなのかもしれない。
「……そうですか」
俺の言葉に、ミヤマは満足そうな笑みを浮かべていた。他二人も似たような顔をしている。
「…あの、失望しないのですか? 一応自分でも王妃としてあるまじき発言をしている自覚はあるのですけど」
「いいえ、貴女の決定にどうして失望などしましょうか。それに、アレク様のことは我々も同じ思いです」
ミヤマは胸に手を当てて頭を下げ、敬意を示した。他二人もそれぞれ違った反応を見せつつも肯定してくれる。
「まぁ、あんたならそう言うと思ってたしな。別に何とも思わねぇよ」
「姫である以前に、母親としてそう考えるのは当然でしょう。私としては研究ができるなら何も不満はありません」
彼らも国を失い、実際に人間達に襲われていた当事者だ。恨みつらみはいくらでもあるだろうに俺の気持ちとアレクのことを第一に考えてくれる。すごく気のいい臣下達だ。彼らのような人がたくさんいるなら魔人種の国というのはさぞかしいいところだったんだろうな、と思わず笑みが零れた。
というわけで、ミヤマ達が俺の提案を快く受け入れてくれたこともあり、これからの行動指針は世界中を旅しながら仲間達を集め、再び魔人種の組織を再編することに決まった。とはいえそれは最優先事項ではなく、俺たっての希望でアレクの成長を見守ることに重きを置くこととなった。国を造り直すというのも、言うなればアレクを守ってくれる人を増やすという意味合いがある。
「ビスカ、人間どもはどうする?」
「…そうですねぇ」
ジャコウの質問に俺は少しばかり考えた。一応元は人間の俺だけど、最初の敵と称して大勢の人を殺したこともあり、人間を殺すことにそんなに逃避感はない。ゲームだし、という思いも大きいが。
そのため障害になるようなら排除することも厭わないが、だからといって目につく人間を片っ端から殺していたらキリがないし、アレクの教育にも悪い気がする。
そういうわけで人間に関しては”必要なら排除、そうでないなら極力害せず”、というスタンスでいくことにした。あまり面倒事を起こして行動しづらくなったら困るわけだし。その事をジャコウに伝えれば、彼も納得してくれたみたいで引き下がってくれた。
「では姫様、今日はもう遅いですし、明日この研究所を発ちましょう。確か西へ行った所に街があったはずです。しばらくはそちらで情報を集めるということに」
「ええ、そうしましょう。皆、今までありがとう。これからもどうかよろしくね」
「勿体なきお言葉」
ミヤマが深く礼をし、三人は部屋を出ていった。ジャコウだけは部屋の外の扉の前に残り、護衛としてついてくれるみたいだ。戦闘員である彼は気配を敏感に察知できるとのこと。
誰もいなくなった部屋で、腕の中のアレクと二人きりになって俺はふと思う。
「あれ、何だか母親的思考が随分板についてますね」
一応俺は男子大学生。彼女ができたことがないので当然子供を持ったこともない。そんな俺がビスカになるとアレクのことを第一に考えている。子供が健康に育つように、とか普段の俺なら中々思わないことをさも当然かのように口にしている。いくらゲームとはいえ出来すぎじゃないか?
「…くぅ~…すぅ~…」
「…ふふっ、まぁどうでもいっか。そんなことは」
でもこの我が子を可愛がる母親というのは、すごくいい気分だ。アレクの寝顔を見て疑問がどこかに吹っ飛んだ俺はぽふんとベッドに身体を倒し、もぞもぞと布団を被った。
おやすみなさい、アレク。また明日……
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