第4話










 俺の身体から、ドロドロと漆黒の闇が溢れ出す。それはまるで一切の光もない宇宙空間のように、どこまでも澄んで飲み込まれそうな色をした闇だ。


 その闇は、まるで炎のように、煙のように、はたまた生命を感じさせる触手のように、何とも不思議な動きで俺の身体を包み込む。


「おぉ…! この闇の力はっ………! 王妃様っ……!」


 この俺の変化を見てアサギは目を見開いて驚いていた。俺から発せられる風圧が研究所内に吹き荒れ、彼の髪や白衣をはためかせる。




 俺は自分の手のひらをじっと見つめて考える。


 これが俺の、ビスカの力ということか。闇の魔力とは、如何にも悪役らしい力だ。闇を纏った今の俺の姿は、さっきまでの儚げな美女から随分変わってしまっている。


 煙のように噴出した闇は全身を薄く、優しく包み込んでいる。それは胸や下半身の局所を上手い具合に隠し、胸から肩にかけて羽衣のように纏われている。さながら雲を身に纏った天女のようだ。

 他にも炎のようにゆらゆらと揺らめく闇が全身に薄っすらとオーラのように現れているし、触手のような闇は完全に物質化して、背中から二本の黒い剛腕が生えたかのようになっている。


 この仰々しいまでの姿。間違いなくラスボス寄りのデザインだろう。ゲーム開始初期の主人公がなっていい形態じゃない。明らかに俺には過ぎた力だ。ましてや俺は魔力なんてものに触れたことは一度もない。


 けれど、なかなかどうしてこれがよく馴染む。まるで使い込んだ道具のように、それこそ自分の身体の一部のように、暴走などを起こす気配は一切なく自然に手に馴染んでいた。



 ぐっと、黒い炎のオーラを纏った手を握り込む。



「アレクが襲われている……、そう言いましたねアサギ」


「は、はい。この研究所より南方の森にて襲撃にあったと連絡が……!」


「__よろしい」



 それを聞いた瞬間、俺はボンッと音を立てて跳躍していた。これも闇の魔力の力かあるいはビスカの身体の素の膂力か、研究所の天井を突き破ると何層かあった地層を貫通し、地上へと飛び出た。

 

 研究所はどこかの山岳の土の中にあったようだ。青々とした木々の緑と川のせせらぎ、サッと晴れ渡った青空といった大自然が広がっていた。


 とはいえ今はそんな景観に目を奪われている場合ではない。フワフワと当たり前のように空中に浮かぶ俺は南の方へ視線を向ける。この闇が顕現してからというもの、どうも俺の五感は研ぎ澄まされているようだ。ここから数百メートル先、少しずつ離れていってる大切なものの気配を感じる。この研究所の場所を知らせないよう、敵を引き連れて離れていっているようだ。


「_待っていてください、アレク。今行きます」


 それは俺の意思で出した言葉ではなかった。それでも発していたその言葉と共に、ドンッと動き出した。


 凄まじい速度が出た。周りの景色が早送りの動画のように目まぐるしく移り変わる。体感した時、もしかすればジェット機にも匹敵しているのではと思ってしまうほど、身一つで出していい飛行速度ではない。間違いなくその時俺は黒い流星と化した。


 そんな速度で飛ばしていたら、あっという間に目的地に着く。森を抜けたところにある、遮蔽物も何もない開けた草原。そこで小さな少年と二人の男が大勢の人間に囲まれていた。あの少年こそアレク、俺が守るべき大切なものだ。


 俺は一切速度を落とすことなく、少年と人間達の間に突っ込んだ。あれだけ非常識な速度を出していたというのに、その着地はふわっと優しいものだった。着地の際に起きる衝撃や風圧はどういう原理が実に穏やかで、少年の髪をふわりと撫で上げる程度だ。




「なっ、なんだ!? この女は!?」

「一体どこから……!?」

「凄まじい魔力だっ……!」


 人間達はいきなり現れた異形の女に大層驚いているようだ。じろじろとこちらを観察し、武器を握りしめて警戒している。


「おぉ……! 姫様っ……! お目覚めになられたのですね……!」

「…ようやくか。長かったなぁ、ビスカ様よぉ」


 対してアレクについてくれていた男二人は懐かしいものを見るように感激していた。長いちょび髭を生やした老齢の男性と、褐色の肌と笹の葉のような長い耳を持つダークエルフの青年だ。


 そして……



「…お、お母……様……?」



 アレクは目一杯見開いた目に雫を溜めて、目の前の事が信じられないような顔をして一歩ずつ俺に近づいて来た。俺は膝をつき、穏やかな笑みを浮かべてその小さな頭を胸に抱きしめた。


「……よく頑張りましたね、もう大丈夫ですよ。私が来ましたから」


「__っ!!」


 ぽんぽんと背中を撫でてあげると、アレクは俺の胸に顔をうずめて、びえぇぇんっと泣き出してしまった。その泣き声をしっかり受け止めて、静かにアレクの身体を抱きしめ続ける。



 この子がアレク・サンドラ、このゲームにおいて俺が守っていくべき大切なものか。



 ある意味ヒロインポジションであるアレクの姿はそれに相応しいほど美少年だ。黒色がベースのサラサラの髪の毛には所々澄んだ青色が混じっており、色鮮やか。ぷっくりと柔らかいほっぺたに庇護欲をそそる小さな身体。そして青空のように爽やかかつ優しい印象の蒼色の瞳。プレイヤーに性別に関係なく魅力的な少年だと思う。


 だけどそんな客観的な感想を超えて、俺はこの少年に確かな愛情を感じていた。


 まるで本当に母が子を慈しむように、この子のすべてが愛おしく感じる。その髪も、目も、口も、手も、足も……。アレクが俺にしがみつき、感情を爆発させて泣いている。アレクが生きていることを実感する度に、身体の奥底から愛おしさが溢れてたまらない。こうやって身体を密着させて共に心臓の鼓動を奏でることが、これ以上ないほど幸福に思えた。






「_皆! ひるむな!」


 

 だからこそ、その幸せの時間を邪魔する者へ冷酷な視線を向けた。

 人間達の中にいる一人の青年が声を上げていた。銀色に輝く剣と鎧、明らかに他の人間達よりも上質な装備を身に着けた青年だ。


「彼女が何者かは知らないが、あの異形と魔人どもと親しい様子から敵に間違いないっ! 人々を守るためにもここで討伐するんだ!」

「そうです! そのために皆今日まで準備をしてきたではありませんか! ここで失敗するわけにはいきません!」


 その青年ともう一人、修道服を着た女の子も同じように他の人間を鼓舞していた。RPGだったら聖女、もしくはヒーラーと称されるような格好の女の子だ。


「…そうだなっ!」

「何者か知らねぇが魔人であることに違いはねぇ!」

「だったらあいつも敵だ!」

「殺せっ! 皆を守るために!」


 猛々しい声を上げて連中が盛り上がっていく。俺はそれを冷めた目で見ていた。


 見たところ、青年と女の子は魔族を排するためにやってきた勇者と聖女。その他大勢はそれについて来た民衆達といった感じか。王道ストーリーなら、あちら側が主人公だったんだろう。


 これほど分かりやすい見た目なら、このゲーム最初の敵として都合がいい。何せこれから俺はアレクの母として、魔族の女王として、こういう連中と戦っていくのだから。






 右手をアレクの身体から離し、ゆっくりと民衆共の方へ向ける。人差し指と親指を伸ばして他の指を丸める、ピストルの形を作った。



 _ピュンッ……


 その指先から闇で作られた真っ黒な弾丸を発射する。風切り音を立てて飛んでいくそれは何の躊躇もなく、プツンッと聖女の女の子の眉間を貫いた。





「…………え?」


 額から血を流して倒れゆく女の子を、青年が唖然と見つめていた。














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