第2話 自覚症状1

 僕は、スーパーヒーローに変身した。




 変身した?




 変身した。

 そして階段を全段飛ばして一階に着地すると、ヒーローと美作の間に、どちらの方も見ないようにしてスッと立ち上がった。

 この間、1秒足らず。


(なんだ今の挙動は?!)


 内心驚き、心臓はEDMの如く深いビートを刻んでいる一方で、身体のそこら中からは、バキバキと音が鳴りそうな程に筋組織が張り詰め軋む感覚が伝わってくる。


 脊柱起立筋がこれでもかと背骨を引っ張り、人生でも一番というくらいに背筋が伸びる。

 肩や胸、首周りにも、何やら肉襦袢でも羽織っているのかと言いたくなるような重みと厚みが加わり、最早この身体の持ち主であるはずの僕ですら、誰ですかあなたはと尋ねたくなる有り様であった。


 僕は傍からみたらどうなっている⁇


「……お疲れ様です!!」


 誰かが何か言った。

 僕である。


 妙な沈黙が場を満たす。

 とても嫌な間が開いた。

 僕の肩回りの肉襦袢だけがミチミチと楽し気にパンプアップしている。

 どう切り出そうか?

 正直何も考えずに飛び出してしまった。

 この状況を打開しようと意気込んだ記憶が微かにある。

 一体どう打開するというのだ。

 僕のふくらはぎがミリミリと楽し気にパンプアップしている。


 数秒の沈黙が廊下に充満した。


「誰だ君は? 所属はどこだ?」


 沈黙を壊したのはまたしてもヒーローだ。

 やはりヒーロー、こういう時に率先して会話を始められる人物なんだなぁ。などとぼんやり感傷に浸りながら、僕はヒーローの方へ向き直る。

 図らずも美作を庇う構図になった。


「内閣府から派遣されました、緋色ひいろ六号です! 政府からの伝言を貴方に伝えるのが任務であります!」


 僕は、この数秒の沈黙で思いついた単語を適当に並べ立てるしかなかった。

 嘘は大きく、である。

 ヒーロー名はつまらない言葉遊びだが、口に出して言ってみると案外悪くない。なんとなく政府系の組織構成員っぽい名前ではないか。

 いや少し洒落過ぎているかもしれない。

 警察庁あたりの所属という事にして、もっと堅苦しい肩書をつけた方が怯むだろうか。


「内務副大臣補佐、伊東様のお名前で特別指令です。『その悪人ヴィランは目下進行中の極秘作戦における重要人物である。逃亡を黙認せよ。』です」


 流石に無理があるか??

 昨日たまたまテレビで見た政治家の名前を出してみた。何の不祥事で炎上していたんだったか、炎上していたのは副大臣ではなく大臣の方か?

 暗中模索とはこの事かと思ったが、この用法すら合っているかは検討もつかない。

 こんな事になるなら日頃から古典の授業を真面目に聞いていれば良かった。

 そもそも、本当は美作と話す時間が欲しかったのに、これでは美作を逃がすことしかできないではないか。アドリブ力の無さに愕然とする。演劇部に入っておけば良かった。

 もうどうとでもなれである。


「繰り返します。『その悪人ヴィランは目下進行中の極秘作戦における重要人物である。逃亡を黙認せよ。』。伝言は以上です。緊急事態故、現場判断でこちらに直接伺いました事はお許し頂けると幸いです!」


 言い切った!!!

 一先ず思いついたセリフは全部言い切った!!!

 これまで目に入れたテレビと小説と漫画の知識を総動員して放ったセリフ達であるが、これらがどれくらい信憑性があるのかまるでわからない。

 ヒーローが騙されてくれるかどうかは完全に運を天に任せるしかない状態である。


「……む、なるほど」

(……どうだ…??!)

「わかった、了解した。伝達ご苦労さまです」

(……通った!!!)


 通った!!!

 え、通るんだ!!

 良いんだこんなんで!!

 良かった。

 これで一件落着も同然だ。


 最後に『敬礼をしそうになって止める』という小芝居まで挟むのを忘れない。

 緋色六号とかいうこの世に存在しないモブ公務員のバックグラウンドを想像させる事で嘘のリアリティを嵩増ししようというこすい思惑である。


 しかしまあ、これで一先ず美作が『退治』される事態は避けることができた。

 話す機会は得られなかった。

 得られなかったが、人間生きてさえいればいつかは再会する事もあるかもしれない。一介の高校生のアドリブにしては良くやった方であろう。

 僕は安心して、美作の方に向き直った。


 そういえばさっきから、変異した美作の方を見ていない。お前はどんな悪人ヴィランなんだとずっと気になっていたのだ。

 もう会う機会が無いなら、せめてその悪人面くらい拝ませて貰おうじゃないか!!



 僕は、一切の淀みなく美作の方を向いた。


 ほう。

 なるほどそうきたか。


 わかりやすく異形いぎょうだった。

 これは中々の迫力である。


 全体的に黒っぽい。黒地に、青や紫に鮮やかに光る部分が見えるがこれは構造色のようにも思える。

 頭部は丸みを帯びたカツオノエボシか、へしゃげた飛行船か、またはその間のようなシルエットでフルフェイスヘルメットように全頭を覆っている。

 それに加えて目を引くのは、体の色々な部位から無数に垂れ下がっているクラゲの触手のようなものだ。


(これは…!)


 一見するとクラゲ触手でわからないが、首から下はほとんどライダースーツみたいなものだった。

 おいおい美作ちゃん、流石にそんな攻めた格好しちゃあお兄さん黙っちゃいられないよ。君はまだ高校生じゃないか!!という感じである。

 何を言っているのかは僕にもわからない。

 振り向いてこの間、一秒足らず。


(美作の悪人面を楽しんでいる場合ではなかった)


 そう、一通りやる事も済んだ今、後は美作をこの場から逃がせば全てが丸く収まる。

 最後には僕が、まるでまだまだ業務が残っているかのように山の向こうにでも飛びたてば、騒動はこの本物のヒーローが上手いことまとめてくれるはずである。


 美作が何かを言おうとした。


 礼ならいらないぜ。


 さあ最後の一仕事だ。

 適当に、『何処へなりとも行け』とか、『早く逃げろ』とか、『とっとと仕事に戻れ』とか、とにかくそれらしいセリフを吐くだけで良い。


「な


 視界が吹き飛んだ。

 左の方に吹き飛んだ。


 そして階段にめり込んだ。勿論僕が、である。


 わぁ、階段って本当に鉄筋コンクリート造なんだなぁ。とか言っている場合では無さそうである。


「敬礼ってのは右手でするんだぜ。勉強になったな、不審者クン」


 胴体を横薙ぎに蹴飛ばされたらしいという事は数秒遅れで脳が理解した。

 そして小狡さが裏目に出たらしいという事も数秒遅れで理解した。

 美作はこのことを教えようとしていたらしいという事もついでに理解した。

 我が脳みそながら緊急時にしてはいい働きである。

 褒めて遣わすと言いたい所だが、市中引き回しの上磔串刺しの刑に処したい気分でもある。なんとも不思議なものだ。


「それから伊東は厚生労働副大臣だ。…内務副大臣補佐は伊達な。勉強が足りなかったな」


 勉強が足りなかった!

 ぐうの音も出ない。ぐう。

 身体を階段だったものから引き剝がそうとするが、何故かびくともしない。

 全身の感覚が明確にあることを確認しながら、美作の方に目をやった。

 唖然呆然といった様子でこちらを見ていた。見ないでくれ。


「因みにいうと今は内閣府事務次官も伊東だ。その点はまあ割と惜しかったとも言える」


 フォローされた!

 なんとフォローされた!!

 ぐうの音だけは出してやる。ぐう!


「……なにもかも駄目じゃないか」

「そういうことだ。観念してそこでちょっと待ってろ。後で事情聴取だ」

「観念はしたが待つのは無理だな」

「階段で半身浴してるやつがよく言う」

「半身浴は長めに浸かると身体にいいんだそうだ」

「じゃあそこで浸かってるんだな。まずはあの悪人だ」

「そうも言ってられない」

「フンッ」


 ヒーローは、これ以上の会話は無駄だとでも言わんばかりにそっぽを向こうとする。

 それは困る。

 非常に困る。

 まあ待てよ。僕の相手をしてくれ。


「………まずは僕の相手をしてくれよ」

「…………しつこいな」

「ファンなんだ。昨日のテレビも見てたぜ、爽やかでかっこいいよな」

「本当の顔を見て失望したか?」

「推しの新しい面を知れて嬉しくないやつなんているのかよ」

「貴重な男性ファンなところ非常に惜しいんだがな、ヒーロースーツ着て公務執行妨害をするような厄介ファンはこっちから願い下げなんだ」

「ひどい言われようだな、まったく」


 わらけてくるぜ。

 左手で思いっきり床を押す。どうも右腕が鉄筋と絡まっているせいで起き上がれないらしい。

 もう少しだ。


「やめとけ、スーツが壊れるぜ」

「もうちょっとで抜けそうなんだよ」

「その出力だ。なかなかに値が張ったんじゃないか?」

「まだまだ株は抜けませんってやつだ」

「……株をやってるのか。若そうに見えるが、やるもんだな」

「こういう時はおばあさんを呼んでくるといいんだよ」


 美作の方を見た。

 美作も僕を見た。……ような気がした。顔は隠れているが。

 ヒーローは僕の方を見た。

 僕の左手が美作の方に伸びた。

 僕は両足を全力で踏ん張った。

 校舎が軋む音がした。


「お前、俺のファンだって言ったよな」

「そういう記憶もあるな」

「………俺のヒーローネーム、言えるか?」


 美作が走り出した。僕の方に向かって。

 そして、

 そして僕の手を掴み、


「『オバサンにやや受けレンジャー』だ」


 美作が僕の手を引いた。


「ちげぇよ」


 ヒーローが一瞬のうちに移動して美作を横薙ぎに蹴った。

 防火扉が美作を巻き込みながらへしゃげて外れた。



 階段だったものが粉になって飛び散った。





 僕の右拳がヒーローの左頬を捉えた。


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