空白域

「俺に乗りたいと? 何故なにゆえに」

 竜は面白そうに首を伸ばしてきた。

 いきなり身勝手な要求を突きつけてしまった、という気恥ずかしさに頬こそ熱くなったが、それでもやはり憧れの世界への渇望が勝る。

「僕、空を飛ぶのが夢なんです。昔から空が大好きで……空の中に、行きたいんです」

「それなら飛行機とかいうやつに乗ればよかろう」

「でも、直接空に触れたくて。自由に飛んでみたくて」

「随分変わった人間だ。大地の子が、空へとな」

 愉快そうに目を細める竜の含み笑いに切りつけるような声音で彼は言った。

「好きなんです。広くて、綺麗で、自由な世界だから」

「ほう、そこまで言うか」

 竜はますます笑った。腹に響くその声に、少年は歯をかたく噛み締めた。

「ならば俺と来るか、少年。地を捨てるか」

「はい」

 間髪を入れず、そう叫んでいた。


「……旅は道連れ、とな。確かに連れがいるのは嬉しいが、一人だろうが二人だろうが、決していい旅ではないぞ。俺は一向に構わんがな」

 元から裂けている口端を更に裂き、牙を剥き出して竜は笑った。何をそんなに悦に入っているのか、純真無垢な少年には少し不可解だった。が、長年の願望の成就を前に、淡い疑念はすぐに溶け去ってしまった。

「よかろう。乗れ」

 柵の上に立ち、竜が差し出してくれた尻尾を借りて、背に跨る。

「それでは快適な空の旅をお楽しみ下さい、だな。精々楽しめよ」

 強靭な翼がばさりとくうを捕らえる。竜は一度の羽ばたきで、少年を地上から遠く引き離した。


 ◇


 地上の景色はみるみるうちに、地図のように平たく潰れていった。

 何故だろうか、空の上は寒くなかった。息苦しくもなかった。

 そこには音すらもなかった。雲という、水と氷の粒の集まりの他には何もない。彼は呆けたように黙りこくっていた。


 そうやってどれくらい飛んだろうか。

「あの、そろそろ降ります。帰らないと……」

 一向に下降する気配がないもので、しびれを切らした少年はおずおずと言った。が、その声は竜に叩き切られた。

「何を言う? 空を飛ぶなら地を捨てろと言ったろう」

 どくんと心臓が跳ねた。

「え? 捨てるって、そんな……」

「愚か者め、空の旅は途中下車できんぞ。これがお前の望んだ世界だ、望みが叶ってさぞ幸せだろうに? ハッハッハ、お前も呪われているのだ。飢えもせず老いもせず、俺と永遠二人旅だ、ハッハッハッハ」

 そう、その呪いにかかった者は空に囚われる。

 竜の笑声――高らかな咆哮が、虚空の中に響いた。

 

   ◇


 気付けば雲は消え、目の回るような空の色。

 孤独は痛いほど青く、果てがなかった。


 ここはくうからの世界である。

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空寂の旅 戦ノ白夜 @Ikusano-Byakuya

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